営農情報

2014年10月発行「FREY4号」より転載

家族の協力があったからこそいまの経営がある。父と娘たちが紡ぐ牧場経営

かつて配合飼料を多く与え乳量増加をめざした時期もあった。だが、いまは牛の健康と乳量のバランスを第一に考え、牧草が育つ畑の土づくりにも気を配る。
それが確実に結果となって現れている。父親思いの娘たちも仕事に関わり、次女のみゆきさんは後継者として、牛を愛する父親の精神を引き継ぎ、立派に牧場経営を支えている。

高橋 福一 様

北海道 浦幌町

Profile
1959年生まれ。55歳。酪農学園短期大学を卒業後、就農。両親が酪農を開始したのは昭和30年頃。畑作農業を営みながら、牛一頭からのスタートだった。
徐々に規模拡大し、現在の飼育頭数は160頭(うち経産牛90頭、育成牛70頭)。労力は本人と両親、次女のみゆきさん、三女のいづみさん。売上約8000万円。

家族の協力で苦難を乗り越え

十勝地方にある浦幌町は酪農が盛んな町だ。この地で生まれ育った高橋福一さんは現在、160頭を飼育する。町内でも大規模な部類に入る。両親の力を借りながら、力仕事は福一さんと二人の娘でほぼこなす。

家族経営でカバーできる飼育頭数はせいぜい100頭といわれる。いかに高橋さん一家が意欲的な経営をしているかがうかがえる。それだけではない。一頭あたりの年間平均搾乳量が1万キロリットルを超えるという堂々たる成績を維持しているのだ。

酪農と畑作の兼業農家に生まれ、子供の頃から牛の面倒をみてきた。母の栄子さん(81)は「よく手伝ってくれたよ。うちはお父さん(夫の勇さん、85歳)の兄弟が多くてね。本当の兄弟のように面倒をみてくれた。特に下から二番目の弟は機械好きで、(高橋さんは)トラクターの動かし方を教わり、小学生の頃から乗っていたよ」と話す。

中学生になると牛にエサをやったり、搾乳したり一人前の仕事をした。そんな毎日を送りながら、「自然と」牧場を継ごうという思いが芽生えた。「おじさんたちからも『後継ぎはおまえなんだよ』と言われていましたし(笑)」と話す。

酪農学園短期大学(江別市)で技術全般を学び、すぐに就農。このタイミングで高橋家は新たな牛舎を建設。4、5頭は外部から導入したが、あとは20頭前後いた牛から生まれた牛を育成し、搾乳牛にしていくという自家生産で160頭まで増やした。牛が増えるごとに多くの牧草が必要になってくるため、畑を徐々に牧草地に切り替えていった。

規模を拡大しながら、経営が軌道に乗った頃、高橋さんは奥さん、富美子さんを35歳の時に亡くした。「それから1、2年は大変だった。どうやって乗り越えていくか。続けてこられたのは、家族全員の協力があったからこそ」と言う。

福一さんの父・勇さん(85)、母・栄子さん(81)とも毎日牧場の仕事に汗を流す。牛たちの穏やかな表情から、高橋一家の愛情をたっぷり受けながら、大切に育てられていることがうかがえる。

心強い後継者の誕生

現在、高橋さんの片腕となって牧場経営を支えている次女のみゆきさん(25)は、小学校2年生の頃から毎日手伝った。「学校が終わるとすぐに牛舎に入り、搾乳をしたり、終わった牛を追っていったり…。手伝いはいやじゃなかったですね」と恥じらいながら言う。「まあ、この辺はみんな農家だから、子供も学校から帰れば手伝うのが当たり前でしたよ。姉妹のなかでいちばん牛が好きなのはみゆきでした」と高橋さん。

高橋さんが促したわけでもなく、表だって「私が牧場やるよ」と断言したわけでもなく、みゆきさんは帯広農業高校酪農科に進学。大ヒットした学園漫画「銀の匙」のモデルになった高校でもあるが、同校が指導する人工授精の技術はきわめて高く、卒業生が立派に活躍していることでも知られている。当然、みゆきさんも高校で学びを深め酪農学園短期大学にて人工授精師の免許を取得。卒業後はすぐに就農した。

現在は牧場のほとんどの仕事を切り盛りする。搾乳について高橋さんはまったくタッチしていない。「私がエサをつくって、徐糞をしている間にもう搾乳が終わっています」(高橋さん)。

牧草を収穫する大きなハーベスターも乗りこなす。みゆきさんがやっていない仕事といえば、飼料をミキサーで混ぜて牛舎に置く作業ぐらいだという。トレーラーのような奥行きのある機械をバックさせることが容易ではないためだ。「この操作の方法さえ覚えればできる」と高橋さんの表情もまんざらでもない。

長女のあゆみさんは帯広市内の乳業メーカーに勤めている。2014年春から三女、いづみさん(22)が牧場の仕事を手伝うようになった。それまでは歯科に勤務していたいづみさんを、みゆきさんが「帰ってきて手伝ってよ」と呼び戻したのだという。将来的に加工も視野に入れている。「私がやるのではなく、姉ちゃんに『やってよ』と誘っているのですが」とみゆきさん。将来の経営にむけて着々と構想を立てて、行動に移している。

主な牧草はチモシーとルーサン。
ハーベスターの操作をするみゆきさんは農作業にもおしゃれを取り入れる。乳業メーカーに勤務する長女あゆみさんも巻き込み「いつか牛乳の加工もできたらな」とみゆきさん。
いづみさんもトラックを乗りこなす。

牛が健康に育つような草をつくる

家族の支えを背に、高橋さんは健康な牛づくりに邁進してきた。かつては、配合飼料を多く与えて、乳量を増やすこともした。「配合飼料を多く与えれば牛は多くの乳を出すが、粗飼料が少なくなると牛の胃が酸性になっていく。ところが胃の中はもともとアルカリ性。このために牛の調子がおかしくなったり、分娩した後に故障して立てなくなったり、死んでしまったりしたこともありました」。

30歳を過ぎた頃から考え方を変え、牛を健康な状態にしながら、乳量を増やす方向に切り替えていった。そのために力を入れたことは、牛の徹底的な管理と畑の土づくりだ。耕種農家が「大事なことは土づくり」と話すのは何度も聞いたが、酪農家である高橋さんの口から出るとは意外だった。「いい土をつくり、牛が食べて健康に育つような草をつくる。健康になれば牛乳をたくさん出してくれる。基本は土。農家はみんなそうだと思います」と静かに話す。

特に気を配るのは土壌中のpH値。土づくりをせず化学肥料に頼ると、やがてpH値が下がり、そうした土からできた草を食べると牛の胃が酸性になってしまう。そうなると前述の通り、牛の調子が悪くなる。高橋さんはpH値が下がらないように、化学肥料を抑え気味にし、1年かけて醗酵させてつくった堆肥を入れ、肥沃な土で育てた牧草やサイレージをたっぷり与える。

その上で、乳量をあげるために能力の高い種牛と雌牛を交配させながら、牛の平均的な能力をあげていった。酪農を始めた頃は6000キロリットルだった乳量もいまでは1万300キロリットル。牛乳は全量JAに出荷、そこから町内にある浦幌乳業へと運ばれる。

将来の展望について尋ねると少し表情をひきしめ「TPPやFTAなどの行方が見えないから規模拡大にいくべきかどうか迷いはあるが、今後も牛の健康を維持し、さらに乳量を増やしたい」と話す。だからといって、配合飼料を増やすことはまったく考えていない。むしろ現在、飼料全体の(乾物換算で)4割ほどを占める配合飼料をどこまで減らせるかということに挑戦をしている。「むやみに減らせば乳量が下がるだけ。質のいい粗飼料を与えながら、乳量が下がらない程度に配合飼料を抑える。どのあたりでバランスをとれるか。乳量を1万1000キロリットルぐらいは楽に絞れるようにしたい」。

家族経営を続けていく

一方、みゆきさんは「家族経営がいい。家族みんなで力を合わせて牛を育てるいまのスタイルを続けていきたい」と話す。
将来の牧場経営を見据え、よき伴侶との出会いを模索中だ。「お嫁さんにどうか」という話はあっても、「婿に入りたい」という話は早々来るものではないようだ。運命の人とめぐりあい結婚すれば、敷地内に夫婦で住む家を建てるのかと聞くと、首を振って「お父さんが寂しがるから」。なんとも父親思いの娘さんだ。

みゆきさんと高橋さんが牛舎を案内してくれた。牛舎に敷かれたワラをふとんがわりに、ゆったりと休んでいる。アンモニア臭はほとんどしない。これも土づくりと関わりがあるという。化学肥料を多投すると、牧草も窒素を余計に吸収する。これを牛が食べると消化不良になり、糞に含まれるアンモニア臭気が強くなる。逆に十分に消化されていれば、牛が健康だという証拠にもなるし、牛舎環境もよくなる。

「牛を見ていると和みます。それが続けてこられた理由かな」と高橋さん。「表情が無邪気でしょ。人なつこいやつもいれば、なつかないやつもいます。個体で性格を把握しているのはこっち」とみゆきさんを指さす。そのみゆきさんはというと、牛舎に入っている間ずっと牛にさわりながら、まるで牛と会話をしているようだ。心から牛が好きなのだろう。

牛を愛し、慈しみながら育てている父と娘たちの姿に心を動かされる。この姿を牛乳を日頃から飲んでいる消費者が目にすれば、「酪農家たちはこれほどまでにがんばって牛を育てているのか。牛乳を大切に飲もう」と思うに違いない。

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