営農情報

2014年6月発行「FREY3号」より転載

稲作一筋、土地利用型農業で規模拡大。地域農業の活性化の一躍を担う

「米では食べていけない」と周囲が悲観的な見方をするなか、「米ほど価格が安定する作物はない」と逆転の発想から、脱サラで稲作を始めた。
条件の悪い水田も積極的に預かり、丁寧な作業で信頼を得て100haを超える経営体に成長。吉岡雅裕社長は「米でも食べていけることを証明でき、地域の農家が元気になったことが何よりの喜び」と語る。

農業生産法人 ライスフィールド(有)

吉岡 雅裕 様

島根県 松江市

Profile
1958年島根県生まれ。55歳。農機販売会社に約20年勤めた後、16aの水田を借りて就農。その後飛躍的に規模拡大し、現在の経営面積は115ha。うるち米、もち米、そば、飼料用米、飼料用稲を生産。2002年に法人化。社員は8名。売上約1.6億円。

稲作ほど経営的に安定した作物はない

「百姓になって米をつくる」――。20年勤めた農機販売会社を辞め、吉岡雅裕さんは突如、就農を宣言した。1996年のことだ。「米では食えない」と周囲は大反対だったが、本人は「やっていける」という手応えがあった。「つくっても儲からないとか子供たちにはさせたくないと誰もが否定的な話をする。でも米ほどいい作物はない。野菜や他の作物と比べ価格も安定しているし、収益の見込みも立ちやすい。おまけに離農していく人が増えているので、農地はまとめやすくなる」。米づくりこそやってこなかったが、機械や技術については20年間のキャリアがあることも大きかった。

あらゆる反対を押し切り、16aの田んぼを借りて米をつくり始めた。父親は兼業農家として1haで米づくりをしていたが、「一緒にやると父親の手伝いになってしまう」とあえて別の経営にした。最初は面積も少なく、土木業の仕事も掛け持ちして生計を立てた。だが後悔はなかった。

機械は中古品を手に入れたり、故障したコンバインを譲ってもらい、自ら修理して使った。だが格納庫がない。そこで2年目に入って、昔からの知り合いで同じ稲作農家である福田博明さん(65)とともに融資を受けて格納庫を建設。機械も共同で利用するようになった。

徐々に面積が増えていったが、始める前には想像すらできない経験もした。干ばつのために乳白米が大量に発生したこともあった。「一部どころか米粒の全体が真っ白になった」(吉岡さん)。ところが一定量の米を収穫できたため、農業共済から補填を受けることができなかった。

何度となく水害も経験した。ライスフィールドはしじみで有名な宍道湖の北部にあり、海抜ゼロメートル地帯である。大雨が降ると田んぼが水没することは珍しくない。反面、高い山がなく雨水に頼っての米づくり。稲の生育期に水不足になることもある。水に苦労する地帯なのだ。

しかも宍道湖は日本海からの海水が混じり合う汽水湖だ。米が植わっていない冬季には、田んぼに雨が降ってもすぐに川に流れるように水門を開けっ放しにしておく。すると宍道湖を伝って川から塩水が流れ込むため、2月頃から水門を閉めて、塩水をポンプで排水して、真水をためていく作業もある。それでも吉岡さんは「預かってほしい」と言われれば、選り好みせずに借りた。

宍道湖の北側、湖北平野にライスフィールドのほ場はある。水田と川の水面の高さがほとんど変わらない海抜ゼロメートル地帯。2006年に発生した大水害をきっかけに近くを流れる佐陀川堤防のかさ上げ工事が行われたが、13年にもやはり水害を被った。常に水のリスクを負いながらの稲作経営だが、定期的に土壌改良材を散布し、養分の補給を行いながら、良食米づくりに取り組む。うるち米の品種はハナエチゼン、コシヒカリ、きぬむすめ、つや姫を作付けする。

地域が元気になったことがうれしい

法人化した2002年には42ha、07年には70haと次々と規模拡大し、現在115ha。県内有数の大規模稲作経営体に成長した。どうやってここまで農地を集積できたのか。「どんな田んぼでも借りたから。田んぼならなんでもよかった」と屈託なく笑う。農機販売会社勤務と合算すれば農業と関わってきた年月は長いが、農家としては新規参入組。周囲には先輩農家たちがいるなか、条件のいい田んぼはなかなか回ってこない。耕作放棄地になりかけた水田、水が十分回ってこないような水田もいとわず借りた。

「そういう田んぼしかなかったから」と微笑むが、その奥には「条件のいい田んぼもそうでない田んぼもセットで借りるのが土地利用型農業だから」という強い信念が貫かれている。「いい田んぼだけを借りたら、よくない田んぼが残るよね。それがやがて耕作放棄地になる。僕はいい田んぼもよくない田んぼも預かる。トータルで利益が出ればいいという考え」といさぎよい。

預かった以上は丁寧な作業を心がけ、常に田んぼをきれいにしておく。そんな農家であれば預けたいと思っても不思議ではない。筆数にすると660を数えるまでになった。水田一枚あたりの面積は17a。200を超える地主がライスフィールドに田んぼを預けている。

吉岡さんにとってうれしいのは「地元の農業、農家が元気になったこと」だという。就農前はとかく米にまつわる話題が暗かった。家族経営であれば「30haが限界だろう」という声も聞いていた。だが米中心の作付けで、100haを超える経営体になった。しかも法人化し、8人の社員を雇用するまでになった。ライスフィールドに続けと新たな法人も登場した。「米でやっていけることが証明でき、それで地域全体が明るくなったことがいちばんうれしい」と表情を崩す。

耕畜連携も貪欲に取り組む

うるち米は早生から晩生まで品種を組み合わせて生産し、JAくにびき、米卸、米屋に納めている。作付け前には行き先が決まっている受注生産スタイルだ。独自で営業担当者を配置したり、在庫を抱える必要のある直販はやっていない。その労力はすべて生産部門に集中させるのが吉岡さんの考え方だ。

耕畜連携事業にも貪欲に取り組む。ひとつは、稲発酵粗飼料(ホールクロップサイレージ=WCS)の生産。畜産農家から需要が高まっていることに着目し、地元の28戸の稲作農家で「湖北WCS生産組合」を結成。吉岡さんは組合長をつとめる一方、ライスフィールドもコントラクターとして参加している。

田植え作業は各農家にやってもらうが、WCSを収穫し、ロール状にしてから畜産農家への販売、さらに牧場から調達した牛糞堆肥をWCS生産組合の組合員の水田に散布する仕事もライスフィールドが請け負う。13年度のWCSの面積は42haだが、14年度には52haに達する見込みだという。

もうひとつが稲わらの販売だ。コンバインから取り出した稲わらを肉牛の肥育農家に供給する。中国での口蹄疫の頻発的発生や11年の福島原発事故などで国産が品薄となり、稲わらを要望する声が高まっている。同社では毎年、約3000ロールを県内の畜産農家に供給している。

ほかにも、JAから委託を受けて600ha分の水田の無人ヘリ防除を行い、耕起、田植えといった作業の受託面積も20haを超える。

労力をフル活用して生産コストを抑えるため、播種からすべて自社で行っている。

農地周辺の水路等のメンテナンスや農村の美化活動を実施する農村集落には、国が「農地・水保全管理支払い交付金」を拠出しているが、同社は複数の集落からこうした事業も請け負っている。ありとあらゆる仕事を引き受けることで、米生産に特化した法人でありながら社員を年間雇用するスタイルを維持している。

02年に法人化した際、パートナーの福田さんと「若い人を雇い、自分たちがリタイアしても継続できる経営体にしよう」と夢を語って結成した。夢は叶ったが、すでに吉岡さんは次の一歩を見据える。会社をどう次世代に渡していくか、である。11年から吉岡さんの息子、修平さん(29)が社員として加わった。他に20代、30代の若手もがんばっている。「だれが社長をやってもいい。吉岡の会社にしてはだめだと思う。会社は皆のものだから」と世襲にこだわらない。

当面の目標は生産面積を200haまで拡大することだ。「僕もあと10年。65歳になったら自分の好きなことをするよ」と言う。好きなこととは何なのか。「地域の役を引き受けたり、地元のためになるようなことかな」と、リタイア後もなお地域に重きを置いた暮らしを模索する。考え方も話し方も合理的で、小事にこだわらないタイプに見えるが、農地、そして地域に対する思い入れの深さは会話の節々からにじみ出てくる人物でもある。

保管中の稲発酵粗飼料。
ライスフィールドの事務所、倉庫および育苗用のハウス。

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