営農情報

2015年7月発行「FREY特別号」より転載

花にかける情熱、常に新たな目標に向かう行動力。エディブルフラワー(食用花)という新市場への挑戦

高校生時代の教師のひと言に触発され、花生産の世界に飛び込んだ。以来、花壇苗と鉢物の生産に専念し、規模拡大も果たす。
常に新たな目標に向かっていく行動力を持ち、食用花であるエディブルフラワーの生産にも力を入れる。新市場開拓のための営業活動も精力的に行い、認知度をあげるために直売所をオープン。消費者に積極的に情報発信を行う。

(株)脇坂園芸

脇坂 裕一 様

新潟県 阿賀野市

Profile
1961年新潟県阿賀野市生まれ。高校卒業後、神奈川県の花卉農家での研修を経て1983年から花卉栽培を開始。5棟(延べ1320m2)あるハウスのうち、4棟で花壇苗およびポインセチアを生産(年間31万株)。1棟でエディブルフラワーを生産。2014年7月に加工施設兼直売所「Soel(ソエル)」をオープン。労働力は8人。花卉のほか水田が2ha。

食用花に見出した無限の可能性

脇坂園芸の農場のある阿賀野市には、5000羽以上の白鳥が飛来するといわれる瓢湖がある。脇坂裕一さんの田んぼにも数羽の白鳥が降り立ってエサをついばんでおり、優美な田園風景をつくっていた。だが、裕一さんのハウスにはそれ以上の感動が待っていた。入口を開けた瞬間「なんて綺麗」と思わず声が出た。ハウスの中は色とりどりの鉢花で埋め尽くされていた。しかも観賞用ではなく食べられるという意味の「エディブルフラワー」なのだ。
裕一さんが数ある中からナスタチュームという花を手渡してくれた。口に入れるとカイワレと似て、ほろ苦い味。料理の付け合わせにすればスパイスになる。「花の種類によってビタミンやミネラル、食物繊維など野菜よりも多く含まれているものもありますよ」。目を輝かせながら説明する裕一さんの表情は、エディブルフラワーにかける熱い思いを十分に物語っていた。

日本でエディブルフラワーが生産されるようになったのは30年以上前からといわれる。主産地は愛知県。長年、花壇苗と鉢物生産を行ってきた裕一さんがエディブルフラワーに着目したのは2000年頃。取り組む産地や農家が少ないこともあったが、エディブルフラワーに無限の可能性を見出したからだ。

実験的に自分でつくって取引先のホームセンターに出荷してみると、売れ行きや反応もよく「こんなに特徴があるのなら、もっと市場が広がってもいい。発信のやり方次第で認知度は上がるはず」という思いがだんだんと強まっていった。

ついに2013年からハウスの一棟を使って本格的に生産を始めた。毒性がない花であればエディブルフラワーになるが、裕一さんは無農薬栽培にこだわることにした。これが予想以上の難関だった。虫に食われた花は商品にはならないし、パッケージする際には隅々までチェックをしてどんな虫もピンセットで取り除く必要があり、非常に手間がかかる。ハウスにも防虫ネットを張り害虫対策を行っている。

そこまでやっても、すぐに売れるというわけではない。まだ認知度が低いエディブルフラワーを知ってもらい、継続的に使ってもらうには見込みのある顧客を自ら見つけ、ダイレクトに訴えるしかない。こう確信した裕一さんは、結婚式場やレストラン、料理研究家などにツテを辿りながら売り込みを続けてきた。業者が参加するさまざまな展示会にも精力的に足を運んでいる。

満足できる花ができず、花をやめようと思う時期もあったが「借金してハウスを建てて花を始めた以上、花で(借金を)返すしかない」と覚悟を決めてから迷いはなくなったという。

10年たって花づくりのおもしろさを実感

家は稲作を営む兼業農家だったが、初心どおり花生産で生きていくと決めた裕一さんは、神奈川県の花卉農家のもとで約2年間研修を受けた後、実家に戻り1800万円を借りて165m2のハウスを建てて、1983年から花生産を始めた。

最初は試行錯誤の連続だった。春夏には需要の多いパンジー、マリーゴールド、ベゴニアなど花壇苗を栽培し、生計を立てることができた。ところが秋冬の品目がなかなか定まらなかった。アザレア、シクラメンをつくってみたものの、独学では高品質の花をつくることは難しかった。当時はバブル景気で盛り上がっていた頃。「周りの農家はシクラメンを高価で販売し、自分はまったく恩恵にあずからなかった(笑)」と苦笑いする。

方向性をつかんだのは30歳になった頃。ポインセチアの鉢植えをつくる近隣の農家を訪れ、「(よく売れるので)つくっても追いつかない」と聞き、すぐにつくろうと決めた。人気の高い品種は日本ポインセチア協会という業界団体に入ればつくれることを知り、1年待って協会に入会。「売れる花をつくるには団体に入ったほうがいいこと、そこで仲間に揉まれながら技術を身につけていくこと、そのなかで沸いた疑問を一つひとつ改善していくこと。この3つの大切さを痛感した」。
ポイントをつかむと、がぜん花づくりが面白くなった。「始めからいい花をつくりたいという思いはあったが、気持ちばかり前面に出ることもあった。農業とはむしろ感情を入れず、淡々と日々のやるべき作業を積み重ねてこそ結果が出ることも知った。今でも胸に刻んでいることです」。

35歳で幼稚園の教諭だったよし美さんと結婚。その後、ホームセンターとの取引が始まった。最寄りの数店舗と直接やりとりし、商品を届ける「ダイレクトデリバリー」というスタイル。どんな花が売れるのかという情報も顧客の反応もわかる。裕一さんは顧客の期待に応えられる商品を届け、店舗との信頼関係を築いていった。よし美さんが仕事をやめて経営に参画するようになるとハウスを2棟増やし、規模拡大を果たした。経営が安定期に入った矢先、エディブルフラワーへの挑戦を始めた。「階段を上がると、また次の目標がほしくなるタイプなんだよね。なぜか(笑)」。

情報発信拠点として直売所をオープン

エディブルフラワーのハウスでつみとったナスタチュームを始めスィートアリッサム、ナデシコ、ビオラなど季節ごとの花は、「OTOMEパック」(20輪入りの小売価格で800円)として販売する。
パッケージごとに花の種類や詰め方が微妙に異なり、アレンジ次第でまったく違う商品になる。パッケージ担当者のセンスの良さが如実に表れる。このほか、顧客の要望を聞いて、オーダーメイドで花の種類や色を揃えることもいとわない。もっとも多い用途は、サラダなどの料理への装飾、ヨーグルトやケーキなどデザートへのトッピングだという。

積極的な営業が功を奏し、販路は順調に広がってきた。よきパートナーも現れた。企画やマーケティングを行う会社で「脇坂さんのエディブルフラワーを扱いたい」といってきた。裕一さんが納めた商品は同社を通じ、東京池袋の商業ビルおよび東名高速道路海老名サービスエリア内で販売されている。「商品が独り歩きする。これこそエディブルの持つ可能性」(裕一さん)。

脇坂社長の積極的な営業が実り、エディブルフラワーは結婚式場、ホテル、レストランなど多様な販売先に出荷される。

2014年、ハウスの近くに加工施設兼直売所「Soel(ソエル)」をオープン。水田に囲まれたかわいらしい建物で、エディブルフラワーを使った紅茶や塩、自家製の米粉クッキーやケーキなど加工品を販売する。すべてよし美さんとスタッフの手づくりによるもの。
オーディオが趣味の裕一さんが「音楽が好きな人が集まる場所にしよう」と建設計画を建てたが、その後6次産業化に取り組むことを決心し、「エディブルフラワーの情報発信拠点にしよう」と方向性を定めた。政府による総合事業化計画も認定され、同年7月に開店した。農業振興地域に該当することから飲食店許可はおりず、各種加工品の販売のみだが、天気のいい日には店舗外にパラソルを建て、エディブルフラワー入りの紅茶やハーブティを飲みながら「のんびりと過ごしてもらえたら」と願う。

直売所のオープンに先立ち、2013年に法人化も果たした。事業の拡大とともに従業員も増やした。「法人化した以上、従業員を路頭に迷わせるわけにはいかない」と責任の重さを感じている。花卉市場全体は縮小の傾向にあるが、エディブルフラワーはこれから伸びが期待できる新分野だ。「自分の中では明るい光は見えています」と人懐っこい表情で語る。エディブルフラワーの魅力にとりつかれた裕一さん。高校生当時の3000万円の目標を軽く越え、「エディブルだけで最低8000万円を目指します」と意気込む。

直売所「Soel(ソエル)」ではエディブルフラワーを使ったクッキー、ケーキ、ドーナツ、ハーブティ、ソルト(塩)などさまざまな商品を販売。花の形や色がそのまま商品に活かされているところが大きな特徴。妻のよし美さんと腕のいいスタッフで店を切り盛りしている。

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