営農情報

2017年1月発行「トンボプラス9号」より転載

強い危機感とブレない心で、産地化を加速する[JAとなみ野雪たまねぎ]

美しい田園風景で知られる富山県砺波平野でも、稲作農家は厳しい現実にさらされています。そんな農家の悩みをなんとかしたいと始まったとなみ野農業協同組合(JAとなみ野)の、たまねぎ産地化プロジェクトが、8年の歳月を経ていま大きく加速しだしました。稲作主体で、冬場、雪に閉ざされる厳しい環境を逆手に取った<雪たまねぎ>のブランド化です。
今回は、取り組みの仕掛け人のお2人に、現在に至るご苦労を語っていただきました。

『このままでは地域が潰れる…』、危機感から始めたたまねぎ産地化の取り組み

佐野 日出勇 氏

JAとなみ野 代表理事 組合長
富山県砺波市

JAとなみ野がたまねぎの産地化に挑戦し始めたのは2009年。2016年で8年目になる。旗振り役は、JAとなみ野代表理事組合長の佐野日出勇氏だ。佐野氏は、就任当時からJA改革を断行し黒字化するなど手腕を振るってきた。「今の農家は米だけでは維持できないから、ほ場を他人に預ける。すると地域から若い人が出ていく。『このままだと地域が潰れる。農協が若者を戻す方法を考えないと…』と思いました」。地域の危機を実感した佐野氏は、米に代わる作物としてたまねぎを選んだ。
しかしその結論に至る道のりは楽ではなかった。幹部や職員、営農指導員たちと何度も話し合ったがなかなか決まらない。当時、常に佐野氏が言っていたのは、農家の収入が上がる作物は何か?相場の値崩れがおこったときや生産調整を間違えたときに保存がきいて出荷量をコントロールできる作物は何か?また雪に耐えて育つ作物は何か?そして機械化できる作物は何か?だ。産地化するには生産量の拡大が必須。そのためには効率化や労力軽減が欠かせない。

長雨の間の久々の好天で、水稲収穫作業の対応に忙しいJAとなみ野の砺波農機センター。

反対を押し切ってスタートするも、誰も動かず。3年間は<売り上げゼロ>

「儲かりそうなのは、たまねぎしかない」。作物がなかなか決まらない中、佐野氏は<たまねぎ>に決めるつもりだった。しかし、会議で猛反対にあう。「オール野党でしたよ(笑)まぁ、普通に考えれば当然ですよね。畑地で少しつくるならいいけど、水田でつくったこともない作物を産地化しようなんて。『農協は何を考えとる!』と、言われました」。
結局、皆の反対を押し切る形でスタート。佐野氏を支えたのは、強い危機感とブレない心だ。このときの佐野氏の決断が、たまねぎ栽培を、現在の成功に導いたのではないだろうか。

そんな経緯で始めたところで、また問題が起きた。実際につくってみたら、爪楊枝みたいな苗で、ピンポン玉のようなたまねぎしかできなかったのだ。「また寄ってたかって文句を言われましたけど耳栓をしてました(笑)」。耳栓は冗談にしても相当な反発があったという。佐野氏も自ら農家を回って、複合化をすすめて回ったが、3年間は売り上げゼロだった。

全15棟の育苗施設で、2016年は14,000枚を生産。後利用を考え、フォークリフトが入れるように地面を整備している。

出荷組合との二人三脚でゴールを目指し、売り上げ1億円超え。大手業者から引き合いも

この取り組みを動かすにあたって佐野氏が工夫したのが、組織の動かし方だ。いろんな組織が縦横に絡んでいるため、情報や動きが混乱していた。苗1本でも、自分で育苗する人も、ホームセンターで買う人もいる。すると品質や収量にバラツキが出る。そこで同JAは後ろに下がり、生産者の代表に入ってもらい<たまねぎ出荷組合>を設立。そこに情報もたまねぎも集約する流れをつくったのだ。それが功を奏し、たまねぎ栽培は徐々にうまくいき、生産農家は増え始めた。

しかしその後も、2012年に風速43m/sの強風で、収穫前のたまねぎが壊滅的な被害にあい責任を問われたが、佐野氏は「辞めるのは簡単だがそれは違う」と、さらに精進。その後は農家数も栽培面積も増え続け、2016年、栽培面積100ha、農家数120軒に至った。富山県が推進する<1億円産地づくり運動>の取り組みでトップを走り、5億円が見えている。

JAとなみ野雪たまねぎの取り組みで、ヤンマーがお手伝いをさせていただいているのが、たまねぎ作業の中でも重労働と言われる、掘取作業や拾い上げ作業の機械化だ。佐野氏にも『ダントツに良い!迷う余地はない!』と、お墨付きをいただいた。
今まさに加速し始めたJAとなみ野の取り組みには、国や大手流通業者などからの引き合いが後を絶たない。辛い時期を耐えたJAとなみ野の<雪たまねぎ>は、春の時代を迎え、まだまだ加速し続ける。

2013年に完成したたまねぎ乾燥施設は、床面積1,360m2、616室のラックで個別の乾燥・管理が可能。4,000tの収量にも対応できる(写真左)。
乾燥室内で24~36時間かけて水分を5%下げる(写真右)。

妥協を許さない姿勢で生産者を支える、昨年の収量約8t/10aのスペシャリスト

齋藤 忠信 氏

JAとなみ野 たまねぎ出荷組合組合長
雪たまねぎ 生産アドバイザー
富山県南砺市

JAとなみ野雪たまねぎの産地化を語る際、外せないのが、先に紹介した佐野氏と、ここに登場いただく齋藤氏だ。齋藤氏は、佐野氏と二人三脚で地域をけん引し、産地化に貢献しておられる。
上記のほかにも、JAとなみ野野菜出荷組合協議会 会長などの要職を兼任されるかたわら、ご自身も、農事組合法人ファーム野尻古村の代表理事組合長として、たまねぎ5ha超を栽培。驚くことに2015年の平均が約4t/10aのところ、なんと!最大で前人未踏の約8t(7.9t)/10aも収穫したというスペシャリストだ。取り組み当初、佐野氏からの要請に対し、産地化するなら〈機械化する・連作をしない・土づくりを励行する〉を条件として受諾。出荷組合の組合長に就任した。10.5aからのスタートで3t/10aほどできたが商品にはならず、たまねぎに詳しい人が誰一人いない中マルチをかけ、肥料を増やし、試行錯誤しながらつくり続けた。地域の農家に条件を訴え参加を求めたが、実績がないため誰も話を聞かなかったという。そのためとにかく収量を求めた。

「そんなとき6t/10a穫る人がおると聞いて『よーし!それぐらいは穫れるだろう』と、いろいろ工夫したら7.2t/10aも穫れた。全国でも上位に入る」。これを機に次は面積を1ha増やして6.5t/10aを収穫。たまねぎを始めて4~5年後ぐらいの頃だった。そこから齋藤氏は、地力アップ・雑草抑制・カメムシ被害低減とメリットの多いクロタラリア(緑肥作物)の導入から補助金の交渉、最近では収量重視から品質+収量への路線変更に関わる技術開発など、本来の手腕を発揮して現場を引っ張った。

そんな齋藤氏のモットーは『自分で考え、試し、実践する』ことだ。失敗もしたし、きつい言葉もかけた。しかし農家のため、地域のためだ。今ではたまねぎ産地化の現場での第一人者となった。最後に「機械メーカーは農家の声を聞け!その代わり農家もメーカーに協力する」と、我々メーカーにも発破をかけてくださった。勤め人時代に学んだ改善活動の精神とリーダーシップで、今も現場を取り仕切る。齋藤氏の現場改善はまだまだ続く。

整然と並んだ育苗中のたまねぎ

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