営農情報

2022年6月発行「トンボクロス4号」より転載

〈メーカー探訪〉創業の想いを継承し、SDGsを意識した企業経営へ 松山株式会社

代表取締役社長 松山 信久様

長野県上田市
松山株式会社

農業や馬の飼育・管理で技術を習得〈犁〉で日本初の特許を取得

稲作にも畑作にも必要な作業機、それは土を耕す犁(すき)ではないだろうか。その犁で、日本初の特許を取得した農機メーカーが、松山株式会社(長野県上田市、以下同社)だ。
同社の創業者である松山原造氏は、1875年、長野県小県郡大門村(現・長和町大門)で、代々庄屋を務める松山家の長男として誕生、厳格で教育熱心な祖父や、祖父の高弟で村の振興にも尽力した田中新太郎氏から英才教育を受けて育てられたという。
その田中氏のもとで、学問や後継者としての振る舞い、地域振興の思想などを学び、また田中家の家業である農業や馬の飼育・管理などを体験。この経験が馬好きだった原造氏の進路に大きな影響を与えた。
その後、福岡県で筑前農法の普及に努めていた林遠里(えんり)氏の技術や、同氏の推奨する抱持立犁(かかえもったてすき)を使った馬耕法を習得した。その技術を、当時、牛馬耕の普及が遅れていた東日本各地で指導。そして1901年、抱持立犁に改良を重ね、犁先・犁へらを左右反転できる理想の犁をつくり出した。〈単ざん双用犁〉の名称で、犁としては日本初の特許を取得、翌1902年には、同社の礎となる〈専売特許単ざん双用犁製作所(すぐに松山犁製作所と改称)〉の操業を開始した。

社有林に囲まれた本社社屋。国蝶「オオムラサキ」が生息する大自然を身近に抱え、環境保全への意識も高まります。
当時の農家に好評を得た〈単ざん双用犁〉。

馬から機械へ、動力源の変化に対応し〈ニッポンプラウ〉を開発

畜力から機械へ。大きな節目となった〈歩行型トラクター用犁〉。

その後の同社の躍進は、120年におよぶ同社の歩みが物語ってくれる。もちろん順風満帆ではなかった。アメリカ製の歩行型トラクターが台頭した際、専用プラウ(洋犁)のけん引抵抗を、2代目社長の松山篤氏が克服、1954年には日本初の歩行型トラクター用犁を開発、その後、乗用トラクター用犁もつくり、牛馬(畜力)からエンジンという動力源の切替えに対しても、着実に対応してこられたことで、国内の乗用トラクターの普及にも大きく貢献された。そしてその商品を〈ニッポンプラウ〉と命名、これが同社の、〈ニプロ〉ブランドのルーツとなった。
1968年には社名を〈松山株式会社〉に変更し、1974年、松山徹氏が3代目社長に就任。犁をベースにしながらも、乗用トラクター用ドライブハロー、深耕ロータリー、フレールモア、アッパーローター…と、誰もが知る農業機械や作業機を次々と世に送り出してこられた。
2002年、4代目(現)社長に就任された松山信久氏は「私たちはお客様の声にお応えしてきただけ。その時々は悪戦苦闘をしたかもしれませんが、ただ120年、作業のフォローをしただけですから」と、あくまでも謙虚だ。しかしその言葉の裏には、良い作業機(犁)を活用することで、農業による地域振興を求めた、創業の想いが脈々と息づいている。

〈社是〉の方針を大切に常に働きやすい会社を実現

今年、同社は創業120年を迎える。ひとつの企業が長年事業を展開するには、経営者の先見性や求心力が重要だ。しかも同社のように、一世紀以上経営し続けるのは、並大抵のことではない。うかがうと、その秘密は同社の〈社是〉にあった。

社是一と三は実務に係わる方針だが、ポイントは社是二だ。これを平たくいうと〈人と協調する〉こと。つまり社員やその家族、地域社会、お客様などのステークホルダーと良好な関係を築くということだ。同社には、この方針を実現する多彩な取り組みがあった。
例えば社員の働きやすさについては、教育制度や社員旅行などの福利厚生はいうまでもなく、長野県が薦める〈社員の子育て応援宣言〉に登録、2016年には、仕事と子育ての両立支援に取り組む企業が認定される〈くるみん認定(厚労省)〉を受け、〈育児休業〉や小学校入学まで取得できる〈短縮勤務〉、分割で最長1年取得できる〈介護休業〉など、キャリア維持に対する環境を整備、これまで育児休暇を取った女性社員の復帰率はなんと100%だという。

それは遡ること75年。当時、2代目社長の篤氏が率先して労働組合を組織化。社員の主張を尊重し、労使で最善の道を探っていく考え方を基本としたという。つまり労働環境の整備にも前向きに話し合ってきたのだ。経営面では、全社員に対して年に2回、経営方針と部門方針を発表して情報を共有、テーマによっては組織を横断した各種委員会を設置するなど、全社一丸となって臨むこともあるという。
さらに協力会社とは〈松山協力会〉を組織し、会員の相互理解と親睦を図り共存共栄を目指す。講演や研修旅行なども開催しており、信久氏からは、「2014年にはヤンマーミュージアムにうかがいました。自分たちが係わった作業機とYTとのマッチングを目の前で確認して、皆さんの目が輝いていました」と、好評をいただいた。会員の士気高揚にも意欲的だ。

■社是 一、発明考案して良い品を作り、農業の躍進に貢献する 二、和敬協力よい人間関係を築き、みんなの福祉を増進する 三、創意工夫して仕事の改善を図り、効率の良い社業を確立する
ヤンマーミュージアムで、トラクターの歴史に興味津々の研修参加者。

〈オオムラサキ観察会〉などを通して〈地域未来牽引企業〉へ

そして、先ほど述べた社是二の視点を地域社会へと移せば、信久氏の就任後、SDGs(持続可能な開発目標)の観点から、また社員の健康増進を兼ねて、社員ボランティアの手で本社周辺の社有林に遊歩道を整備。ここに生息する国蝶〈オオムラサキ〉観察会を開催して、社員や地域の皆様に、楽しみながら自然環境に対する意識を高めてもらえるよう開放している。
また、現在はコロナ禍で休止中だが、農業や自然環境、日本のモノづくりに対する興味を持ってもらえるよう、地域の小学生を工場見学に招いたり、中・高・大学生には、自分の夢や目標を具体的に捉えるきっかけにしてもらえるよう、職場体験学習を受け入れるなどの取り組みも行っている。そしてこのような同社の姿勢が評価され、2018年には経産省より〈地域未来牽(けん)引企業〉に認定された。これは創業者である原造氏が描いた〈人の役に立つ技術で、農業による地域振興〉の想いを現代に、そして未来に継承していく証だ。120年を迎える同社は、まさに本業においても、地域活動においても、未来をけん引するに相応しい優良企業といえるのではないだろうか。

本社周辺に全長約3kmの遊歩道を整備。地域の皆様、社員やそのご家族に開放することで、環境意識を高め、健康増進にも役立ちます。

〈NIPLO〉ブランドに込められた、もうひとつの意味。

NIPLOブランドには、ニッポン(の)プラウという自負の意図が感じられる。しかしそれぞれの文字には、また別の想いが込められていた。それは願いとも、目標とも思える言葉だ。
〈「N」…NEW:新しい、「I」…INTERNATIONAL:国際的な、「P」…PROFESSIONAL:専門的な、「L」…LOVELY:魅力的な、「O」…OPEN:開放的な〉これから150年、200年と製品開発を続けるなかで驕(おご)らず、慌てず、努力を惜しまず、NIPLOブランドを大切にすることで、この言葉のような製品をつくりたい、この言葉のような企業でありたい、との想いが込められている。

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