営農情報

2014年6月発行「FREY3号」より転載

コスト削減と品質追求で利益を確保。常識にとらわれず独自の経営スタイルを確立

試行錯誤を通じ、自分で答えを見つけていく経営スタイル。「失敗したことがよかった。教わった通りにやっていたら今の自分はなかった」と振り返る。
作業効率を上げるための工夫をこらし、39haに及ぶ畑地の機械作業を一人でこなす。輸入品との競争にさらされる畑作3品の生き残り先は「コストと品質」と見据え、現状に満足せず、挑戦を続ける。

吉岡 茂 様

北海道 網走郡大空町東藻琴

Profile
1965年生まれ。48歳。25歳の就農とほぼ同時に30haの経営主となる。現在の経営規模は39ha。
ビート(16ha)、小麦(14.2ha)、でんぷん用じゃがいも(8.8ha)の3品目で輪作体系を組む。
労働力は本人と母、節子さんと妻、和美さんの3人。

無線機を使って頻繁に情報交換

あざやかな赤色のニッカポッカが吉岡茂さんのトレードマークだ。「赤とか紫とか派手な色が多い。畑作でこんな格好している人間はまずいないよ。でもすごく作業しやすいんだよ」と豪快に笑う。

そんな吉岡さんがトラクターに乗ると、必ず手にするものが無線機だ。5台あるトラクターのすべてに備え付けてある。やりとりをするのは東藻琴地区の約10名の農家。地区内のほぼすべての担い手が無線で情報交換をするそうで、普及率の高さは北海道の中でもダントツだという。

30年ほど前、アマチュア無線の講習会が同地区で開かれた。「新しいもの好きの人間たちが、おもしろ半分で一斉に講習会に参加したんです。おれもその一人。気づいてみたらキャビン付きのトラクターすべてに無線機が付いていた(笑)」と吉岡さんは人なつこい表情で話す。

最初から農業に活用しようという気はなく、単純にコミュニケーションの道具として使い始めたというが、今では経営に欠かせない手段となっている。「今、防除をやっている」という話を聞いて「うちは播種があいつより1日遅れたから、うちの防除は明日だな」とカレンダー代わりにする。「虫が出てないか」と仲間から情報を集めることもある。また、収穫が遅れている仲間のところにかけつけて手伝うこともある。

無線機が取り持つ縁なのだろう。同地区の農家の結束力は強いことで知られる。吉岡さんは10人の仲間のうち、年齢的にちょうど中間に位置する。「裏表がなくて、大勢の人の輪にすぐに溶け込んでいけるタイプ。場を和ませる力はもっているみたいです」と奥さんの和美さんは微笑む。

関西出身の和美さん
「人なつこくて、裏表がない」吉岡さんと意気投合し、結婚。吉岡さんの母、節子さんとともに吉岡さんを支えている。パートは雇わず、機械作業は吉岡さんが一人でこなす。長時間機械に乗っていても「飽きない」という吉岡さんだが「人と会うのも大好き。自分と違う考えや発想を持った人と出会って、お互いの意見を言いあえるっていいよね」と話す。
小麦は秋播き小麦の他、春播き小麦も生産している。

失敗したおかげで今の自分がある

一方で、周りに流されない頑固さを吉岡さんは持っている。マニュアルや人から聞いたことを参考にはするが、鵜呑みにしない。

たとえば防除の方法も独特だ。ブームスプレーヤーを使う際、通常よりも濃度を2倍ほど濃くして、散布量を2分の1に減らしている。散布幅の広いノズルを使い、まんべんなく散布するようにする。作業効率を上げるために編み出した方法だ。

単位面積あたりの農薬使用量は変わらないが、通常の農家が1.5ha分しか散布できないところを、吉岡さんは1回の補給で3ha分散布できる。作業の途中で散布機に搭載してあるタンクの水を補給するために、一度家に戻るという時間的なロスを省けるからだ。

トラクターにはそれぞれ異なる作業機が付けっぱなしにしてある。たとえば、防除が終わって家の車庫に戻り、付け替えをする手間を省く。その後、即座にカルチ作業に出かけられるようにするためだ。広い経営面積で適期作業が求められる北海道の農家にとって、たった10分でもロスをなくせるかどうかで仕事の内容や効率に大きな差が開く。

「(和美さんが)事故を起こすと心配だから」と機械作業は吉岡さん一人でこなす。「春の畑づくりの時なんかサブソイラーをかけた後、ロータリをかけるので、1日20時間乗っている時もあるよ。それでも機械作業、わりと好きだから」と屈託がない。
常識にとらわれることなく、自分なりに考え、実践し、納得できる答えを見つけるというやり方は、吉岡さんの就農時の環境と関係があるのかもしれない。

畑作を営む両親のもとに産まれ、「家業を継ぐのは当たり前」と就農には迷いがなかったそうだ。見聞を広めるために高校卒業後、さまざまな仕事を経験し、25歳で就農。だが時同じく父、恒吉さん(77)が事故にあって脊髄を損傷した。吉岡さんはいきなり30haの面積を担う経営主になった。

「親のやり方は見てきたけど、実際に何をどうやればいいのかわからず、すべての仕事が手探りだった」(吉岡さん)。床に伏せた父も助言してくれるが、自分で体験してないから理解しきれない。周囲の人や仲間に聞いたことをヒントにしながら、試行錯誤を重ねた。はじめの3・4年は失敗の連続だったという。「周りの人は収量を上げているのになぜ自分だけだめなんだろう」と落ち込むことも何度かあった。

「今考えると失敗したことがよかった。この仕事はこのタイミングでやらなければと体でわかった。一人一人の畑が違うので、まねしても同じようにはできない。もし自分でもがくことなく、人から教わった通りにやっていたら、今の自分はなかったと思う」

そばで静かに茂さんの話を聞く和美さんは「確かに自分の中で消化できないと前に進めないタイプ。でもじっくりモノをつくる仕事は向いていると思う。駆け引きできるようなタイプじゃないので(笑)」。マイペースな吉岡さんをしっかり支える和美さん。息もぴったりの夫婦だ。

コストと質の両立で収益確保が目標

じゃがいもはすべてでんぷん原料で、反収は約510kg、秋まき小麦は約570kg、春まき小麦は420kg、ビートは約6500kg。すべてJAに出荷している。小麦とじゃがいもについては収量のみならず、品質の面でも「まあまあ満足できるところまで来た」と言う。

一方、吉岡さんがチャレンジを続けている作物がビートだ。かつては多くの収量を上げればそれだけ収益につながる作物だったが、2007年から「品目横断的経営安定対策(現在は経営所得安定対策)」が導入され、最低生産者価格が廃止され、生産量と品質(糖量)にもとづく支払いが加味されるようになった。“量”重視から“質”重視の栽培への転換が求められるようになった。

吉岡さん自身も量から質重視のビート栽培に舵を切り、肥料の与え方を以前とは変えた。作物を肥大させる効果のある窒素成分を減らし、逆にリン酸を多めに散布するようにしている。リン酸を入れることで作物の初期生育が良くなり、早い時期に肥大し、しっかりと根を張る。そうすることで糖を蓄積でき、糖度の高いビートに仕上がるのだ。「収量が多くても、中身(糖量)が伴っていなければうどの大木と同じ」と吉岡さんは言い切る。

しかしまだ、手応えをつかめたというところまでいっていない。窒素を減らした分、収量は減ってしまう。といって糖度が以前に比べ高くなるわけでもない。輸入に頼るリン酸も価格上昇の傾向にあり、結果を出さなければ単にコスト負担だけが増えることになる。

近年では温暖化の影響も出てきた。ビートは昼夜の寒暖差によって糖度を蓄える。ところが最近は、北海道も残暑がみられるようになり、秋口に入っても寒暖差が以前のようにはっきり見られず、糖度が上がらなかったり、逆に病虫害が発生することも増えた。「ビートが北海道の風土にあわなくなってきたのかもしれない」と吉岡さんは語る。

それでも吉岡さんは「品質重視のビート生産をあきらめるつもりはない」ときっぱり言う。中身の伴わないビートをつくっても、収穫する手間は同じようにかかる。いち早く品質で勝負できるビート生産技術を確立できれば、収穫にかかる手間が減るだけでなく、肥料代も減る。畑作の場合、肥料が占めるコストが大きいだけに、吉岡さんとしては何が何でも追求したいところだ。
「農業で生き残るにはどこまでコストを抑えられるかだと思う」と吉岡さん。「どんな作物でもそうだけど、収量を上げるというのはだれもがやっている。その先にあるものは品質、そしてコストだと思う。経費を減らしながら収量と質の両立をめざしたい」

将来的には今よりさらに10~15ha規模拡大し、小麦とじゃがいもの面積を増やすつもりだという。「この程度の規模拡大なら、経費は今とさほど変わらない。最後に手元にどれだけ残せるか。残らなければやっている意味がありませんから」と吉岡さん。豪快で常識に捉われない考え方は、今後もますますカタチとなって経営スタイルに反映されていくのだろう。

「収量と品質のバランスをとるのが難しい」というビート。北海道も温暖化の影響を受け、糖度の高いビートづくりが難しくなってきた。「それでも農業を選んでよかった。生活ではオンとオフのメリハリがはっきりとしているし、自分らしくいられる」と吉岡さん。

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