営農情報

2014年10月発行「FREY4号」より転載

「会社勤めより魅力的」と農業を選ぶ。栽培技術に磨きをかけ、安定経営めざす若き力

にんじん、たまねぎといった露地野菜がさかんな愛知県碧南市に生まれ、「会社勤めよりも魅力的」だと自ら農業を選んだ。
周囲の人のアドバイスに耳を傾け、積極的に情報交換をしながら、着実に栽培技術の習得につとめている。「農業は広範囲の人と関わりをもてる。その点でも農業を選んでよかった」と語る明るい表情がさわやかな青年だ。

榊原 啓介 様

愛知県 碧南市

Profile
1990年生まれ。24歳。祖父母がにんじん、たまねぎをつくる農家に生まれた。愛知県立農業大学校卒業後、地元の生産組合での1年間の研修を経て、2012年に就農。面積は1.5ha。にんじん(1ha)、たまねぎ(80a)、サツマイモ、落花生(各7a)など。労力は祖母、母と本人の3人。

こんないい仕事はない

「家に畑があるのだし、通勤もなく自宅で仕事ができる。こんなにいいことはないと就農を決めました」と日焼けした顔をほころばせる。

そんな榊原啓介さんも、高校卒業まで農業を仕事にしようと思ってもいなかった。祖父母が農業を営んでいたが、父親は会社勤め。母親もパート勤務。「農業をやると聞いて、私たちのほうがびっくりしました。子どもの頃からおばあちゃんたちの姿を見ていて、それが影響したんでしょうかね」と母の尚美さん(47)。祖母のふじ子さん(78)は「苦労するからやってほしくなかったけどね」という。

高校を卒業した2008年、リーマンショックに端を発した世界的な景気低迷が日本企業にも影響を及ぼし、どこも新規採用を見送った。「就職氷河期ってこともあったけど、会社勤めにあまり魅力を感じなかった」。

念のため、農業と会社勤務のそれぞれのメリットとデメリットを比較するマトリックス表までつくった。「農業のほうが収入は多いし、自分で時間を調節しやすい。休みが取りにくいなどデメリットもあるけど、自分に体力があればなんとかなる。頭より体を使って仕事がしたい」。こうして就農の決心を固め、愛知県立農業大学校に入学、2年間みっちり農業の基礎を学んだ。卒業後、地元の生産組合「前浜・川口地区農業活性化組合」に研修生として1年間、碧南市ならではの生産技術を学んだ。

いよいよ2012年7月、実家の50aの農地を使って就農した。現在、榊原さんがメインに作付けするにんじん、たまねぎは、祖父母の代からつくっていたが機械作業は近所の親戚に委託し、家には機械がなかった。「ゼロでは始まらない」と中古のトラックとトラクター、うね立成形機をそろえた。

榊原さんはほ場ごとの収支を考えながら、肥料などの資材を使用している。にんじんとたまねぎは碧南地域の露地野菜として主力の作物。主に中京、北陸、甲信越地域に出荷される。「自分たちがつくっている野菜がブランドになっていることはとても心強い」と榊原さんはいう。

周囲の人々に支えられて

碧南市の農業を代表するにんじん、たまねぎは同市南部、三河湾に近い砂地の畑でつくられる。さらさらの砂地で育つゆえ、肌がきれいだと市場の評価も高い。特ににんじんは、JAあいち中央の碧南人参部会、種苗会社、篤農家らが協力して開発した品種「へきなん美人」がブランドにもなっている。管内では約170haで毎年1万トンを目標に生産。たまねぎは約130haで9000トン出荷している。

後継者も育っており、若い農家も多い。こうした環境も榊原さんにプラスに働いている。ほ場で作業をしていると組合の人や親戚、通りがかった先輩農家がちょくちょく声をかけてくれる。研修先ではすでにセッティングされた機械を使っていたが、新たに購入した成形機は設定からやらなければならなかった。すべての部品を装着して使っていたところ「補助輪はつける必要ないよ」と教えてくれたり、「うねはもうちょっと高く立てたほうがいい」とその場その場でアドバイスをしてくれた。

JAのにんじんとたまねぎの部会以外に、青年部で組織している「一般ソ菜部会」にも入っている。月1回程度、30人ほどのメンバーが集まり、JAや普及指導員から肥料や農薬についての基礎知識、土壌診断の方法などを学ぶ。碧南地域にあったつくり方を学べるのが榊原さんには非常に役立っているという。「たとえば、こういう時期に雨が少ないと、にんじんのサイズが小さくなりやすいので、水を多めにやるなど実践的なことが学べる」。

恵まれた環境でのスタートとはいえ、最初から満足のいく野菜ができるほど甘くもないのが農業だ。にんじんで5トン、たまねぎで6.5トンの収穫ができたが、「自己評価は20点。成功した畑と失敗した畑に分かれた」と厳しめの採点だ。失敗したにんじんの畑では水や肥料が十分ではなかった。先輩からのアドバイスに耳を傾け、時には自分からも質問する榊原さんだが「もっと突っ込んで聞くべきだった。わからないところは徹底的に」と表情を引き締める。

JAと普及指導員がしっかりタッグを組んで農業者を支援することで知られる愛知県の農業。西三河農林水産事務所農業改良普及課の小林技師と打ち合わせ中の榊原さん。

多様な人と関わりがもてる点が魅力

スポンジが水を吸い込むように、栽培技術を高めている真っ最中の榊原さん。農業がさかんなだけに規模拡大は容易ではないが、偶然出物だった農地を借りたり、ふじ子さんの友人から頼まれた農地を借りるなどして1.5haまで広がった。

野菜はほぼすべてJAに出荷している。「へきなん美人」は糖度が高く、ジュース用としても引き合いが多いことから、産地を指定して買う実需者も増えている。価格も市況に対して1kgあたり10~15円が上乗せされる。

3年目に入って、課題も見えてきた。ひとつはたまねぎの定植作業の効率化だ。4条植えの産地が多いなか、碧南市では珍しく10条植えだ。西三河農林水産事務所農業改良普及課の小林克弘技師によると「限られた栽培面積で、通路を減らす土地の効率的利用により、少しでも反収を上げようとした結果ではないか」という。先輩たちのおかげで平均反収は6トン、多い農家は7~8トンをあげる。

反面、定植・収穫とももっぱら手作業に頼るしかない。4条植えの移植機はあっても、10条植えの移植機はないからだ。畑によっては、たまねぎの定植作業とにんじんの収穫作業が重なることもあり、榊原さんにとっては悩みの種だ。「(狭い面積で収量をあげるタイプの)碧南市はいちばん機械が導入しづらいと聞いたことがありますが、本当にそんな感じ」と苦笑いする。将来的に規模拡大を計画する榊原さんにとって大きな問題だ。

もうひとつの課題は農閑期の作物の選定。6月にたまねぎの収穫が終わり、8月ににんじんを植えるまでの期間、あまり手間をかけず、収益を上げられる作物として何を選ぶか模索を続ける。2014年はサツマイモと落花生を植え、JAが運営する直売所、あおいパーク「もぎたて広場」などに出荷したが、労力に見合う収益は得られなかった。

そんな榊原さんには心強い味方がいる。同じ地元出身で、やはり農業大学校を出てにんじん、たまねぎをつくる先輩、黒田大地さんだ。就農してから頻繁に連絡を取り合うようになった。「自分がつくっていない作物、品種をつくっており、時々情報交換しています」。

こうしていろんな人と関わりが持てることが「農業の大きな魅力」と榊原さんは言う。「農家仲間ばかりでなく、市場の人、直売所の人などいろんな世界の人と関わりができた。会社勤めをしてたら、こんな広範囲の人と関わりをもてなかったと思う。その点でも農業を選んでよかった」。

20年以内に法人化が夢

課題を解決しつつ、売上や利益をどこまで増やせるかが榊原さんにとっての大きなテーマだ。最初の2年間、中古で買った機械を短期間で償却したこともあり、利益を出すことができなかった。「(3年目の)今年からしっかり黒字にしたい」。当面、1000万円に売上を増やすことが目標だという。

ブランド価値が認められている碧南の野菜は一般の野菜と比べ、相場の変動幅も少ない。それでも露地野菜である以上、天候や他産地の作柄の影響を受ける。「農業はギャンブルといわれていますが、確かにそのとおりだなと思います」(榊原さん)。

だが、決してあきらめているわけではなく、「だからこそ心の持ち方が大事になってくる」と意気込む。「相場が安くても『最低でもこれぐらい利益を残せば、次のシーズンもやっていける』という見込みを立てれば気も楽。そのためにも少しでもコストを下げたい」という。

ほ場に出ている時には「この畑には肥料を金額にしてどれぐらい入れているか」、「ここに人件費がどれだけかかっているか」など頭の中で計算をしながら作業しているが、いずれはタブレット端末をほ場に持ち込み、作業内容や経費を逐一入力し、畑ごとの収支計算をしていく考えだ。実は、高校はコンピュータを専門に学んだ。「既製品ではなく、自分で使いやすいようにつくりたい」と自信ものぞかせる。安定した経営体にして、20年以内には法人化する夢も抱く。

職業のひとつとして冷静に判断し、自然体で就農する榊原さんのような若者が増えている。農業がそれだけ開かれた職業になった証拠でもある。地に足のついた若者の将来が楽しみだ。

「若い農家が増えるために大事なことは?」と聞くと「すでに就農した若い農家が収入を安定させること」ときっぱり。

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