営農情報

2014年10月発行「FREY4号」より転載

未利用資源の活用と6次産業化。柔軟な経営センスで二つのビジネスを両立

未利用資源だった稲・麦ワラにビジネスチャンスを見いだし、幾度かの試練を乗り越え、全国でも珍しいワラを収集・販売するプロ集団となった。
一方、亜熱帯果物の生産・加工を通じ消費者に「魅せる(見せる)農業」も実践。二人の娘さんの名前から命名した「杏里ファーム」は異なる二つの農業ビジネスを展開している。

農業生産法人 (有)杏里ファーム

椛島 一晴 様

福岡県 柳川市

Profile
1961年生まれ。53歳。地元農家と契約し、稲ワラ(250ha)、麦ワラ(200ha)を収集販売する「ワラ部門」と、60aのハウスでマンゴー、バナナ、パッションフルーツ、アセロラ等を栽培し、加工・販売する「アイスクリーム部門」を持つ。米(8ha)、大豆(7ha)、麦(16ha)の生産・販売も行う。従業員は3人。ワラの収集面積は福岡県下最大。2005年に法人化。

手探りで始めたワラの収集販売

椛島一晴さんがワラのビジネスを始めたのは1994年、30歳の時だった。農業を営む父親が体調を崩したため、営んでいた建設業をたたみ、家業のイ草生産・加工を手伝いながら、収益性の高い作物を探していたところ、知人がやっていたワラの事業に興味をひかれた。

地元ではワラの大半は焼却されており、「引き取りたい」という椛島さんの提案を了承する農家もいたが、「稲ワラを収集するための機械が田んぼに入ると土がどろどろになって、後作の麦がまけなくなる」など否定的な声もあった。それでも粘り強く地元を回り、田んぼを50ha集め、機械もそろえた。

「田んぼを借りたら借りたで大変でした」と椛島さん。「ワラの品質を左右するのは乾燥具合。見た目には乾いているようでも十分じゃなかったのでしょう。ロールにした後腐ることもあった」。

それでも1年目からまとまった面積で始められたのは販売先があったからだ。翌年、その販路が絶たれた。取引相手だった商社が飼料部門から撤退したのだ。そこからは自力で佐賀、長崎、熊本、福岡の牛の肥育農家を回った。地元JAの青年部部長をしていた経験を活かし、各県のJAから情報を得ながらの営業だったが、すぐに成果が上がるものではない。ようやく注文を取って家に戻ると、電話で「さっきの注文だけど…」とキャンセルされる苦い経験も味わった。

最初にまとまった注文をくれたのは唐津市の肥育農家。「品質面で満足できない商品もあったと思いますが、何年も付き合ってくれました」。その後は熊本、長崎のJAをメインに営業し、稲ワラは畜産農家の飼料として、麦ワラは施設栽培農家の敷ワラや土づくり資材としても販売するようになった。

きめ細かい営業、相手先の要望に沿った商品の提供で実績を伸ばしていった。「泥がつかなくてよく乾いた青々したワラがいい商品だと思っていますが、『少し泥が混ざって黒い色のワラがいい』という人もいる。求めるニーズは実にさまざま」(椛島さん)。ワラを引き取る農家との約束も確実に守り、信頼を得た。「100ha分のワラをもらう約束をした後、雨続きで品質が低下し、商品にならないことがわかっても買いました。機械が入らず箒を持っていって掃いたこともあった」。

若い社員に全幅の信頼を置いている。ワラ(稲ワラ1,450トン、麦ワラ500トン)は自社倉庫だけでは保管できず、取引先のJAでも倉庫を確保してもらっている。

試練があったから本気になれた

実績を伸ばし始めた矢先、苦境が立ちはだかる。2000年、口蹄疫が92年ぶりに発生した。発生農場のひとつでは中国産麦ワラが給餌されていた。さらなる発生防止のため口蹄疫清浄地域以外からのワラ輸入が規制され、国内流通量が大幅に不足。この事態に対応しようと政府は新規で稲ワラの収集販売を始める農家に補助金を出すようになった。

すでに事業を始めていた椛島さんは対象に該当しなかったが、大勢の農家が一気に稲ワラ生産を始め、購入する側にも助成金がついたこともあり、単価が下落。この影響はまともに食らった。3年間は我慢を強いられたがその後、にわかに注文が増え始めた。新規で始めた人が販路確保の難しさなどから撤退し、そのお鉢が回ってきたからだ。それまで100~200haで推移していた面積が2004年以降、一気に300haを超えていく。

本当の試練はそこからだった。「200haまでは何とかなる。これを超えるとそうはいかない」。ワラ集めが始まるのは日が落ちてから。日中は農家のコンバインがほ場に入っている。農家の作業終了を見計らい、ようやく回収にとりかかる。ましてや天候をにらみながらの仕事。いかに適期を逃さずに作業するかで後々の品質、売上に響く。タイミングを見計らって猛烈なスピードで作業を終えなければ夜が明けても終わらない。

そこで椛島さんがとった策は二つ。常に新品の機械を1セット準備し、現場の機械が故障すればすぐに入れ替えられる体制をつくる。もう一つはスタッフをプロに育て、作業性を向上させることだった。

水稲や麦の収穫後、テッダで反転させて乾かし、レーキで集め、ロールベーラで梱包したものをフロントローダーでトラックに積む。通常だと1日にできる面積はせいぜい3、4haだが、椛島さんは40haこなす。できあがるロール(160キログラム入り)は1200~1300個。「その分ものすごい集中力がいります。作業中には(事務所に)『電話も回すな』という。それぐらい張り詰めてやらないと機械作業にも影響が及ぶ」。

自ら実践してみせることでスタッフを育て、どこもまねができない専門技能を持つ稲ワラ事業者になった。「口蹄疫発生後の試練があったからこそ本気になれた。死活問題にならなければここまでやれなかっただろう」と振り返る。

経営安定のための6次産業化

経営体としても足元は着実に固まったかに見えるが、椛島さんはまったく満足していない。収穫前は「今年もちゃんと収穫できるだろうか」、収穫後は「売れるだろうか」といつも不安がつきまとうそうだ。

この不安を払拭するためにも2005年の法人設立と同時に、亜熱帯フルーツの生産、加工という新機軸をつくることにした。亜熱帯フルーツを選んだのは「私が食べたかったから」。福岡県で亜熱帯フルーツといえば話題性もある。最初につくったのはドラゴンフルーツ。生果だけではなく、加工販売を考え、アイスの製造許可も取得した。
ジェラートは柳川城跡のお堀めぐりをする船着き場近くに構えた店で販売するようになった。お客さんから「マンゴーもあったらいい」と言われマンゴーの栽培も開始。つくり方は沖縄や鹿児島を訪ね歩いて習得した。予想どおりメディアも頻繁に紹介し、ジェラートの売れ行きも3年は好調だった。

50aでつくるマンゴーの70%は生果として販売、30%がアイスの素材になる。

ところが話題性が一巡すると売上が低迷し始めた。巻き返しにアイスキャンディーを商品化。デザイナーに頼んで、ロゴからパッケージデザインまで動物の「カバ印」で統一し、全国各地に販売ルートを確立。OEM(相手先ブランド製造)提供も行い、自社販売とOEMをあわせて製造本数10万本まで増え、売上も安定するようになった。

10月になるとマンゴーやパッションフルーツをつくっているハウスもカフェに様変わりする。時期になればブーゲンビリアが咲き乱れる。ここでジャズコンサートも開き、柳川市の風習である「さげもん」(ひな祭り)のイベントも開く。昨年のひな祭りの時だけで7000人を集客したという。また、2013年にはジェラートショップを改装し、カフェ「椛島氷菓」にした。

手づくりのジェラートとキャンディは種類も豊富。マンゴー、バナナ、アセロラのフレーバーは自家製原料を使い、その他は福岡県産素材を使用。ジェラートは300~500円。キャンディ1本は130円前後。
古民家を使ったカフェ「椛島氷菓」では、柳川市名物の“さげもん”といわれる吊るし飾りで店内をかわいらしく演出している。店内だけでなく店の外でもお客さんでにぎわう。

どの従業員も経営者にしたい

未利用資源を有効活用しつつ、消費者に近づいた顧客志向型農業の実践する経営センスが評価され、第63回全国農業コンクール全国大会で名誉賞・ヤンマー賞をダブル受賞した。そんな椛島さん、実は遅くとも60歳までには社長から退くつもりだ。早く若い人にバトンタッチすることが日本の農業を強くするとの持論もある。幸い、頼もしい3人の従業員に加え、大学生の長男も就農する予定だ。「後継者はこれから決める。誰が社長であっても全員が経営者であるべき」と言う。ファームにはタイムカードもなければ、休日も自由に決める。「自己管理をどこまでできるか。タイムカードを気にしていては経営はできませんから」。

運営を任せられる体制ができれば、椛島さんは定期的に沖縄に出向き、亜熱帯フルーツをつくるつもりだ。できたものはファームを通じて販売することで、外から仕入れている一部の果物を自社生産に置き換えられる。そんな側面支援をするのが目標だ。

マンゴーが植わっているハウス前にも果物やジェラートを販売する店舗がある。店の前には芝生が敷かれ、お客さんはベンチに座ってマンゴージェラートをほおばる。アイスに使う原料は規格外ではない。「一級品でも収穫して日数が経てばアイスに回す」と決めているからだ。それだからだろう。アイスとは言え本物の果物を食べているようなまろやかな甘さがあり、これがお客さんを引きつける強みになっている。

天候や時間との過酷な闘いを強いられるワラ事業と、亜熱帯フルーツをながめながらゆったりできる空間を提供する、魅せる農業の両立。農業は実に幅広い。その醍醐味を椛島さんは証明している。

10月になるとハウスの一部がカフェ「花喫茶」になりイベントを開くと大勢の人でにぎわう。知人の手によるチェーンソーアートの置物も来場者を和ませてくれる。
オンラインでもジェラートやキャンディ、こだわって生産した米を販売。

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