営農情報

2017年3月発行「FREY9号」より転載

反収で県平均の1.5倍を挙げる秘訣はコンニャクイモへの愛情

群馬県渋川市の八高範夫さんは地域の名産であるコンニャクイモづくりの単位面積当たりの収穫量で県平均の1.5倍を挙げている。なぜこれだけの成果を出せるのか?
それを探ると、土づくりや種イモの貯蔵法に至るまでコンニャクイモに対する深い愛情に行きつく。

八高 範夫 様・圭子 様

群馬県 渋川市

Profile
1957年生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、1981年4月に実家で就農。当初は1.2haでコンニャクイモに加えて原木シイタケ6000本を栽培。現在は7.8haでコンニャクイモだけを専門につくる。家族経営。従事者は妻と長男夫婦。繁忙期には10人ほどを雇う。売上高は5000万円。14年前から犯罪歴のある人の社会復帰や更生を支援する「保護司」。平成28年度農林水産祭 内閣総理大臣賞受賞。

コンニャクイモづくりで渋川市の弱点といえば土地が小さいこと。たとえば八高さんの場合、一枚の畑の平均面積は11aしかない。一方で強味はいくつもある。赤城山と榛名山に囲まれた高地は緩やかな傾斜をつくり、とにかく排水性がいい。おまけに台風や雹が襲ってくることはほとんどない。「だから10年のうち7年は豊作になる感じ。ほかの産地はほ場が大きくても風当たりが強かったり、標高が高くてイモの肥大倍率が悪かったりするからね」と八高さん。

オリジナルの堆肥づくり

こうした好立地にあって、八高さんは地域の農家よりさらに多くの収量を上げている。理由の一つは土づくり。近隣の畜産農家から1年熟成させたおがくず入りの牛ふん堆肥を購入し、堆肥舎に積み上げる。そこに発酵促進剤を加え、25日間かけて切り返してから畑に投入する。「肥料よりも有機物としての効果、つまり土をやわらかくしたりする意味が大きい」という。

欠かせない土壌診断

増収できている理由の二つ目は土壌診断を欠かさないこと。というのも約10年前から周囲で離農する人が出てきて、その農地を引き受けることが多くなったからだ。同じ土地であっても、つくる人が違えば、当然ながら畑の肥料成分率が異なる。
もちろん手間や費用を考えると、すべての畑で土壌分析するわけにはいかない。そこで最も優先するのは新たに借りた畑。続いて前回土壌分析をしてから最も時間が経っている畑を中心に、毎年10~12点を対象にしている。

蚕室を使った種イモの貯蔵

高収量を上げている理由の三つ目は種イモの貯蔵における適切な温度管理にある。コンニャクイモの栽培は次のような段取りになっている。

  • 一年目=春に種イモを定植→秋にコンニャクイモの赤ちゃん「生子(きご)」を収穫して低温貯蔵。
  • 二年目=春に生子を定植→秋に種イモ(二年生は「生子」ではなく「種イモ」と呼ぶ)を収穫して低温貯蔵。
  • 三年目=春に種イモを定植→収穫して商品化。

八高さんは種イモを貯蔵するにあたり、生子については室温10℃、種イモについては室温5℃で管理する。

その貯蔵場所が面白い。自宅二階にあるかつての蚕室だ。ここでは生子を薪ストーブの煙でいぶして、カビや病気の発生も防ぐ。一階のリビングにある薪ストーブの煙突は二階の貯蔵室につながり、この空間に煙が流れ出るようになっているのだ。八高さんは「一階を20℃にすると、二階が10℃になる。一階で人間が快適に過ごせるなら、コンニャクイモもまず快適という感じです」という。

周辺の農家と同じく、八高さん宅でも昔は自宅の二階で蚕を飼っていた。天井板は隙間を空けて、温かい空気が上昇するように、二階は周りに障子をめぐらして、床にむしろをひいていた。

コンニャクイモの貯蔵室となったいま、蚕室の外壁のところどころに細かい隙間をつくっている。これは煙が滞留するのを避けるため。また12月までは日中だけ窓を開放する。「空気を入れ替えることで腐敗を防ぐため」だ。

生子については収穫直後、ビニールハウス内において30℃で3日間、予備乾燥させる。これは生子に付いた傷を乾燥させて、傷口から病気が蔓延するのを防ぐため。
種イモについては日向で二日間干した後、室温5℃を保つ近代的な貯蔵庫に入れる。

不作時のリスクヘッジ

コンニャクイモの相場は良くも悪くも見通しがつきやすい。というのも気象条件の影響で豊作となれば、当然ながら種イモも豊作である。そうなると翌年の生産量は自然と増えるので、「豊作にしても不作にしてもだいたい三年は続く」という。
八高さんはリスクヘッジをしている。コンニャクイモの出荷先はすべて特定の問屋。もし秋の収穫前に豊作が見込めれば、その問屋に出荷したコンニャクイモの一部を製粉してもらう。そしてコンニャク粉の値段が上がった時期を見計らって、転売にかけるのだ。八高さんは「僕くらいのベテランになると、秋の葉が茂っている段階で、どのくらいの生産量になるかは予測できるだけの眼力を身に着けている」と笑う。

「柔らか頭」で多彩に発想

八高さんは必要なものがあれば、型にとらわれず柔軟に取り組んでいく。 たとえばマニアスプレッダー。20年位前に他の生産者がトラクターでけん引してマニアスプレッダーの作業をしている様子を見て、これでは畑から道路に出たときに畑の土を路上に撒き散らしてしまうという問題を感じていた。
そこで八高さんは自分で考え、けん引式のマニアスプレッダーを購入し、トラック搭載できるよう設計して地元の優秀な機械屋に依頼。マニアスプレッダーの車輪を外し、それをトラックの荷台に取り付けてもらった。エンジンを積んで動力とし、これで今に至るまで堆肥をまき続けている。

種イモの乗用型の定植機にしてもそうだ。購入した当初、それは二席の二うね用だった。座席にいる人が種イモを投入口に入れていき、それらが自動的に定植されていく。ただ、使ってみて分かったのは、人が種イモを入れる速度が遅く、作業速度が上がっていかないこと。そこでもう一席椅子を増設し、三人体制で種イモを入れられるようにした。おかげで作業速度は1.5倍どころか2倍になったという。

八高さんが経営を継続していくうえで、目下懸念しているのは雇用労働力の確保。というのも実家で農業を始めたころに1.2haだった経営面積はいまでは7.8haにまで広がっている。周囲で高齢化が進んでいることから、今後さらに増えることが予想される。そこで検討しているのが通年雇用体制の確立だ。年間通して仕事をつくることで雇用人数を確保し、規模の拡大に対応していく。

ただ、これは簡単なことではない。とくにいまはコンニャクイモの生産だけに絞っているので、農繁期と農閑期が分かれている。もし通年雇用体制を築くとなれば、複合経営を展開するしかないと考えている。これには品目を増やすという捉え方もあれば、コンニャクイモの加工と販売といった六次産業化という捉え方もある。いずれを選択するかは今後の課題だ。

取材の最後に「経営移譲の時期」についてたずねてみると、「もう10日ほどだよ。2017年1月1日には社長の権限は譲る」というから驚いた。八高さんはこのときまだ59歳。2017年1月1日になると数え年で60歳になる。農業界でいえばかなり早い引退だ。
「70歳や80歳になっても引退しない親がいるけど、それでは息子が育たないね。やっぱり早いうちから苦労しないと。うちは看板があるから、息子にはプレッシャーになっていいと思うよ」。こう語った八高さんの向こうで息子の啓輔さん(32)は静かにうなずいていた。

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