営農情報

2015年7月発行「FREY特別号」より転載

サラリーマン時代の経験を活かし、固定観念にとらわれない農業を実践。米づくりの「見える化」で若手育成にも力注ぐ

「農業が抱える問題を解決していけば必ず儲かる」―。
会社勤務で培った経験を活かし、農業が抱える問題を一つひとつ解決し、周囲から頼りにされる担い手として経営を拡大させてきた。
ほ場ごとのすべての作業工程と現状が一目で把握できる作業工程表で「稲作の見える化」を実現。「農業にはさらにチャンスがある」と若手社員育成にも情熱を注ぐ。

(株)ライスクロップ長尾

長尾 隆大 様

岡山県 勝田郡

Profile
1943年岡山県生まれ。会社勤務を経て50歳で就農。大型機械による作業効率化、積極的な営業により規模拡大し、現在56ha。主食用米、WCS、飼料用米、麦、そば、大豆を作付。2009年に法人化。社員8名。売上(2013年。当時の面積は約40ha)は約5700万円。地域内の畜産農家との耕畜連携の先駆者として地域農業の活性化にも貢献。

どうすれば農業で食べられるか

「農業じゃあ食えん」という嘆きを農家からずっと聞いてきた。「なぜなのか、どうしたら食えるのか。それが私の農業の出発点」と長尾隆大さんは語る。
岡山県立勝間田農林高等学校卒業後、大阪で就職。結婚を機に地元に戻り、会社勤務のかたわら親の農業を手伝いながら、こじんまりした乾燥調製施設を整えて、周囲の農家の米を預かって乾燥調製をしてきた。道端で出会う農家、米を持ってくる農家から「農業じゃあ食えん」という話を聞くたび、隆大さんの疑問はふくらんだ。「10aあたりの労働時間はたった32時間。1haでも320時間。こんな時間だけしか働いていないのだから食えないのは当たり前。他産業並みの1800時間働けばいったいどうなるのか。1800時間働けるようなまとまった農地はどうすれば手に入るか。そう考えるべきじゃないかと思った」。

どうすれば農業で食べられるか―。答えを出すため1994年に勤めを辞め、家族を説得して就農した。自作地の1.6haに近所の知人から託された4haをあわせた5.6haで、父とともに専業農家になった。
儲かる農業をめざし決心したことは「これまでの農業と時間の観念を変える」、「しがらみを断ち切って固定観念も捨てる」、そして「食べる人のニーズに沿った米をつくり、自分で売る」の3つだった。

時間の観念を変えるためには大型機械を導入し、作業効率を高めた。いままでと同じ時間でもこなせる面積が広がったことで、面積あたりの労力を削減することができた。「機械化の進展により、10aあたり32時間の労働時間が岡山県平均で約19時間まで減った。この時間でこなすと、10aあたりの粗利(1時間あたり)が2700円と言われる。うちは約12時間なので粗利がさらに増える」(隆大さん)。

サラリーマン生活が長かった隆大さんにとって、農業の固定観念を捨てることは難しくはなかった。「たとえばうちはもみ殻を田んぼに入れる。ケイ酸が豊富だから。周りの農家から『なんでそんなことをするのか?』と聞かれる。逆に『なんでやらないのか』と聞くと『一度もやったことがないから』という。“やったことがないことはやらない”のが一般の農家。私は地元の大規模稲作研修会に参加し、いろんな情報を集められたので、いいと思うことはなんでもやった」。

問題を潰していけば農業は儲かる

何よりも力をいれたことが、実需に見合う米づくりと販路開拓だった。「お客さんが求める米がどんな米かも知らずに売れるわけはない」と遠くは大阪まで営業に出向き、米専門店やスーパーなどを尋ね、要望を聞いた。当時、すでに食の安全を求める声は大きくなりつつあった。そこで有機肥料主体の米づくりをめざし、菜種油のカス、蟹がらなど有機質資材で養分を補い、化学肥料の施肥量を減らした。農薬にも蟹がらエキスを混ぜ、濃度を落として散布するなど減農薬につとめた。収穫後の水田ではプラウやプラソイラーで収穫残渣を土中に埋めて、分解を促すなど地力増進につとめた。徐々に「長尾さんの名前を出して米を売りたい」という注文も舞い込むようになった。

一方、周囲から「うちの田んぼもお守りしてくれ」と言われ、面積は拡大していった。現在、米の作付面積だけで24ha。米専門店やスーパーのほか弁当業者、老人ホーム、米菓業者などと契約を結んでから作付する。米価が大幅に下落した2014年度も大きな影響を受けずに済んだ。最近、白米と混ぜて炊くともちっとしておいしい「もち麦」の作付も増やし、消費者向けの小パック商品も開発した。

土地利用型農業は、施設野菜などに比べて面積あたりの収入は少ない。だが麦や大豆などと組み合わせ、同じ稲でも畜産用のWCS(稲発酵粗飼料)や飼料用米と組み合わせることで交付金が受給でき、経営安定につながる。「問題がないのに儲からない農業は潰れるが、問題があって儲からない農業は、その問題を一つずつ潰すことで儲かる。そういう意味でも農業はおもしろい」と話す。

稲作を「見える化」して社員を指導

隆大さんはいま、築いてきたノウハウを社員に伝授することに力を入れている。周囲から多くの農地を預かっており「私の代で辞めるわけにはいかない」(隆大さん)。2009年には法人化し、面積が5ha増えるごとに一人の割合で社員を増やしてきた。社員は稲作の経験者ばかりではない。隆大さんは自身が就農当初から活用してきた作業工程表をもとにスケジュール管理をさせている。サラリーマン当時、QC活動(品質管理の略。職場で小さな組織をつくり、品質改善や不具合対策を自主的に進める活動)に熱心で、こまめに記録をとって改善点を見つけ出すという経験がここにも生かされている。
作業場の一角に張り出された作業工程表。縦軸にはほ場番号、作付する品種名が記入されている。横軸にはすべての作業工程が書かれ、実際に作業が終わったら、日付を記入する。作業の洩れをなくすことが最大の目的だが、「生育管理をするための勉強の道具でもある」と隆大さん。

社員を作業に送り出す時、茎数がどれぐらいになったか、いつ穂が出始めたかなど「稲の姿を必ず見てこい」と指導している。そうすることで「この作業をする時は稲がこういう状況なのだ」とわかる。「幼穂が出始めて20日も経過すれば出穂になる。じゃあ防除の手立てをしておかないと…と段取りが組めるようになる。そういう感覚を身につけることが大事」(隆大さん)。

現在、20代~60代までの男女8名の社員が働いている。2012年度から農の雇用事業(農業法人等が就農希望者を新たに雇用する際、賃金の一部を国が助成する事業)を活用し、30代と40代の若手が入社、若手の主力として力を発揮している。午前10時の休憩時間には社員が集まって工程表を眺めながら、午後からの仕事の段取りについて話し合っていた。ある社員は工程表を見て「自分にとっての命」と一言。隆大さんの思いはしっかり社員に行き届いている。

「作業をマスターしても、経営のことまで考えられるようになって一人前。最低でも5年は必要」と隆大さんは若い社員に檄を飛ばす。「どんな作物を組み合わせば、最大の収益をあげられるかも大事にするように」と日ごろから助言している。

地域農業の活性化にも貢献

さらに、隆大さんが心を配っていることが地域農業の活性化だ。2004年からWCSを作付し、奈義町内の畜産農家に供給し、もらった堆肥を水田に入れて地力を増進させる耕畜連携を実践している。

奈義町は岡山県内でも畜産が盛んな場所。最初は個人的に始めたが「地域がまとまってやったほうがいい」と周辺の稲作農家に声をかけ、2006年に畜産農家7軒と耕種農家4軒で「奈義町飼料稲生産・利用組合」を結成、地域内での資源循環を始めた。当初、収穫とサイレージ化する作業は他の業者に委託していたが、2009年「勝英コントラクター組合」を設立、収穫機も整備して適期に収穫、サイレージ化するようになった。当初は模様眺めをしていた畜産農家も、新興国での畜産需要増大や円安による粗飼料価格の値上がりもあって、隆大さんたちのWCSに関心をもつようになった。
いまでは畜産農家15軒、耕種農家約40軒が参加。作付面積(2014年)も40haまで広がった。「耕種農家にとっても助成金などで8万円の収益がある上、10aあたり堆肥を2トンもらえるので化学肥料も減らせる」(隆大さん)。主食用米と作期分散のため、WCSはカルパーコーティング種子を用い湛水直播を実践している。

2015年、奈義町柿地区で集落営農組織「農事組合法人ビカリアの里」が発足した。隆大さんら地元住民が10年がかりで構想をつくり上げたものだ。担い手のいない農地は同社のような担い手に続々集まるが、河川やため池、農道などの整備は大規模法人だけでこなすのは難しい。そこで、同社や担い手を含む地区全体で集落組織を立ち上げ、「大型機械でこなす仕事は担い手、環境保全の仕事は集落組織が担うというように補完しあえるのではないか」というのが隆大さんの考えだ。「僕は“ピンチはチャンス”という言葉が好き。農業はさまざまなピンチに直面しているが、やり方次第でチャンスに変えられる。若い人にはなおさらチャンスは多いと思う」。

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