日本の米づくりを変える「蜜苗」誕生秘話

「常識を疑え」。
世界を変えるものがそこから生まれる。しかし言うはやすく、実践することは難しい。コロンブスに卵を差し出され、「さぁ立ててみろ」と言われても、常人は戸惑うばかりだ。常識という名の卵の殻はなかなかに分厚い。これまでの先入観を捨ててそれを打ち破るためには、懸命に思考を重ねていかなければならない。
密苗というのは、そんな卵を立てるような話。この新しい方法が日本の米づくりを変える。

農業持続の強い意思から、密苗にチャレンジ。

密苗と慣行苗
左の苗箱が密苗、右が慣行の苗

農業を取り巻く環境が大きく変化していく中で、経営を持続するためのコスト削減要求が高まっているが、加えて、規模拡大や高齢化に伴う労力削減も求められており、その中で生まれてきた一つの技術が密苗播種・移植システムだ。
育苗箱に通常なら種籾75~100gのところ、250~300gの高密度の播種・育苗を行い、それを精密な掻き取り性能を持つ田植機により従来通り1株3~4本で移植し、10a当たりに使用する育苗箱を慣行の20~22箱から5~6箱に削減する。大幅なコスト削減と労力削減、時間とスペースの有効活用をもたらす。

始まりは生産者の現場目線から。取り組みの中心にいる(株)ぶった農産の代表取締役社長佛田利弘氏(写真左)に話を聞いた。
同氏が5年前、石川県羽咋市にあるアグリスターオナガの濱田栄治氏の田んぼを見せてもらったとき、「10a当たり何箱で植えているのかを聞くと、200gの播種で10箱とのこと。それでもお米は穫れると言うので、次の年の春、密苗をつくり既存の田植機を調節して、10a当たり7箱で試しに植えてみました」。そのときに石川県農林総合研究センター農業試験場の澤本和徳主任研究員(当時)と現在ヤンマー農業研究センターで部長を務める伊勢村浩司(写真右)が田んぼを訪れて見学し、その取り組みに参加することになる。

佛田社長と、伊勢村担当
佛田社長と、伊勢村担当

試しでやったそのときの苗は以降順調に育ち、反収にすると700kgにおよぶところもあった。
「従来からやっていることを肯定的に考えすぎないことが大事。自分がやっていることはこれで良いのかと常に考えるべき」。
その姿勢が卵を立てることにつながる。ただ簡単なことではない。同じことを続けることが1番楽なのだから。しかし、それでは現状維持さえ難しくなっているのが今の日本農業の現実だ。

ぶった農産は、石川県野々市市を拠点に水稲28ha、かぶ0.7ha、大根0.5haの栽培規模で、お米と野菜の生産・加工・販売を展開している。時代の流れに対応しながら、個人通販、業務用の契約販売、本社店舗や金沢駅構内店舗で加工品などを販売するなど、意欲的な農業経営を進めている。
この技術にしてもコシヒカリが一俵2万を超えていたような時代だったら「こういう発想は生まれなかった」と佛田氏は言う。「自分たちが生きていくためにどうコストを下げるかという強い経営課題を課せられたからこそ」。農業持続の強い意志が生み出したとも言えそうだ。

苗箱が減ることで運搬がラク、ハウスの稼働率も上がり、量・品質は従来と同等。

密苗播種・移植システムは、2013年、2014年に石川農試で実証試験が行われ、それと平行してヤンマーで高精度な掻き取りと移植を実現する田植機の開発が行われた。ぶった農産ではこの方法による栽培を3シーズン行い今年4回目。
実際の栽培では1つの育苗箱に乾籾250~300gの播種を行うところから始まる。ぶった農産では300gの播種を行い15~17日間育苗し、葉齢2~2.3のものを移植する。10a当たり1.5㎏の種籾を目安として、従来のやり方では75gの播種を行っていたので育苗箱は20箱となっていたが、4倍の300gで播種するため、苗箱数は1/4の5箱となる。「30aなら15箱ですむので、8条植田植機なら苗の補給せずに"お1人様田植え"ができる」。補助作業員が必要なく、繁忙期の人員を少なくすることができ、苗箱を運ぶことが多い「女性に喜ばれます」。

ハウス内で密苗が育苗されている
ハウス内で密苗が育苗されている

また育苗期間が75gだと35日ぐらいかかるところを、この育苗方法なら15~17日と短いこともあり、ハウスの稼働率を上げることができる。ぶった農産の場合、苗箱の数が1/4、育苗期間が1/2、合わせて8倍の効率アップとなる。「稲作経営の複合化を進めるにはハウスの余剰スペースを如何に活用するかが課題になりますが、それへのアプローチにつながります」。
密度の高い播種により、20日を超えると生育停滞が生まれるため2~2.3葉の幼苗を植えることになるが、マット形成は極めて良好で、掻き取りブロックが小さくなっても、極端な深水でなければ通常の田植えと変わらない。また移植後の「活着が良く、若くして植えた方が分けつは旺盛になります」。それは昔から経験として知られていたことであり、今回の試みによって古い智恵が再び表に出る形となった。
「再現性の高い技術があれば、それを確かめていくことが大切」。昔の経験や言い伝えを検証してみることは今の常識に捕らわれない一つの方法と言えそうだ。

田植え後は慣行栽培と同じ。「最初は苗が小さいので10日間ぐらい我慢できるかどうかということ。気持ちの問題です」。特別なことを一切することなく、量・品質とも従来法と同等水準の成果を得ることができる。

小さな面積を精度良く搔き取る田植機が誕生。

密苗での田植え

ヤンマーではこれを実現するための田植機を新たに開発。「小さな面積を掻き取らなければならないので爪の幅を細くし、掻き取り量のバラツキを少なくするため、ギヤのガタつきを抑え、精密な加工と組み立てを行いました」と、農業研究センターの伊勢村。
対象物が細密になったことで従来のスペックを上回る精度が要求され、それに応えるために精密な加工技術を駆使。加えて、これまでの技術が研ぎ澄まされていった。その先に現場の要望を満たす機械が誕生した。そこには技術の進歩だけではなく、物づくりに対する地力の高さが感じられる。また「田面の凹凸を自動で感知して起伏に応じて同じ深さで植えることができる機能も搭載します」。
誰にでも密苗播種・移植システムが実践できるものとなる。播種機に関しては送りギヤの歯数を変えるだけで対応が可能だ。

大規模農家から小規模兼業農家まで対応できる、新たな技術に期待。

密苗播種・移植システムのメリットは育苗箱が減る、資材費が減る、育苗スペースが減る、運搬・苗つぎ時間が減る、そして従来と同じ管理方法で同様の量と品質を確保するなど。大規模農家から小規模兼業農家まで対応できる。また、直播と違って草の処理は従来の移植栽培と同じなので特別栽培米や有機栽培米にも対応できる。さらに慣行移植栽培と同様の安定した収量なので契約栽培などにも適している。
「将来的にはこの方法が移植栽培の50%を占めるのではないでしょうか」と佛田氏。それは日本の稲作を変えることにつながる。常識を越えて生まれた新たな技術に期待したい。

AMJ、2016年6月号「FRONT VIEW 最前線の挑戦」より流用(一部変更しています)。