2015.03.25

農業の新しいスタイルを考える

近年、食の安全や品質などへのこだわりばかりでなく、農業をライフスタイルに取り入れようと考えている人が、40歳前後の働き盛りを中心に増えている。日本の農業は、どこに向かっていくのか……。

これからの日本の食を支える農業のあり方や未来などについて、ヤンマーの常務取締役・小林氏と多くの企業のブランド戦略を担ってきた佐藤氏、そして、ワイナリーオーナでもある雑誌「SINRA」編集長・玉村豊男の3氏が、熱いトークを繰り広げる。

時代の転換期にきている農業のイメージが変わる

玉村豊男(以下、玉村) 僕が最初にブドウを植えたのは1992(平成4)年で、もう23年も前のことです。自分の飲みたいワインをつくるためにブドウをつくったのがきっかけです(笑)。2003(同15)年に免許をとって、その年の収穫からワインづくりを始めました。そのうち、いいワインができるらしいと評判になって、ワインをつくりたい人たちが集まってきた。いま、移住してブドウの栽培を始めた人は15人以上、予備軍が同じくらいいます。それで、醸造所を併設した日本初の民間アカデミーをつくって、今春開講することにしました。小さいワイナリーが集まって個性的なワインができれば、人も集まってくるし広がりも出てきますから。

小林直樹(以下、小林) ワイナリーが集まって競争を始めると、消費者に選択肢ができて、やがてブランドに成長していきますね。

佐藤可士和(以下、佐藤) ブランディングも必要ですね。2007(平成19)年に子どもが生まれたのですが、東京では土に触る機会がない。そこで、貸しファームでゆる~く農業をやっていました。翌年に、ある雑誌の農業取材を受けたところ、クリエイターなのに農業をやっていると思われて、それから2~3年はデザインや本業の取材より農業の取材のほうが多かった(笑)。

玉村 ヤンマーさんは、このことをご存じでしたか?

小林 ええ、知っている社員は大勢いました。

佐藤 その後、ヤンマーさんの仕事をすることになったんです。子どものために始めたことが仕事にも役立ち、玉村さんとも再会できました。ですから、とても感慨深いです。

小林 農業に携わる人のイメージは、専業農家と兼業農家の二つしかありませんでした。けれど、ここ10年ですごく変わってきています。たとえば、農業を生きがいとして考えている人たちが増えていますね。

玉村 農業は時代の転換期にきていますが、メーカーとしての対応にも変化がありますか?

小林 そうですね、人手をかけないように機械を自動化したり、遠隔操作をしたり、機械が壊れる前に察知できるようなものを考案しています。

佐藤 ヤンマーさんの仕事を引き受けるときに、いつまで経ってもヤン坊・マー坊のイメージしかない。もっと正確に消費者に理解してもらいたいといわれました。農機事業部という名前では、単に農業機械を販売しているだけみたいだったので、アグリ事業部というネーミングを提案しました。ヤンマーの技術を使って新しい農業を切り開いていくイメージです。

小林 年明けから事業部の名前を変えて、確かに我々の意識も変わりました。農家の悩みも解決していきます。

農業の本質は「持続」すること そのためには努力も必要

小林 農業をどう捉えるかによって、発展方法も変わってくると思います。

玉村 若い人で農業をやりたいという人は、自然の中で土に触れたいとか、毎日の生活に農業を取り込みたい、と考えている人が多い。佐藤さんもそういう形で入られたわけですが、専業農家になろうという人はむしろ少ないのではないかと思います。

佐藤 そうですね。ヤンマーさんの仕事は、知れば知るほど最先端です。ミッションは「食料生産とエネルギー変換」の分野で、持続可能な社会をめざすことなのですが、最初に聞いたときには難しくて理解できませんでした(笑)。サステナブル(持続可能性)がキーワードです。玉村さんはサステナブルをどう考えていらっしゃいますか。

玉村 農業は、仕事である以前に、その人が暮らしとして選ぶもので、ある意味では人生そのものともいえます。農業は耕している土が生きている限り、継続可能です。僕は、農業の本質は持続することにあると思っています。

小林 現在の世界の人口は72億人で、2050年には92億人といわれています。このままでは資源は枯渇して、92億人の食を支えることができません。土も死んでしまう恐れがあります。だから今から想定して、持続可能な農業を続けていくための努力が必要だと思います。

玉村 自分たちの食べ物は自分たちの土地でつくる、という原点に戻らないと、大変なことになりますね。

小林 消費型ではなくて循環型でいけば、まさに持続的に再生していけます。それを今から考えておかないと、地球はもたないと思います。

佐藤 子どもに土を触らせたいと農業をやり始めたことからヤンマーの仕事につながり、地球の未来を考えることまで飛躍するとは思ってもいませんでした。小林さんはよく地産地消の話をされるのですが、フードマイレージも重要ですね。

小林 輸送には、必ずエネルギーを使います。遠い国から運ばれてきた作物は価格は安いかもしれませんが、エネルギーコストがかかっている。フードマイレージが大きいと、持続可能ではないと思います。

玉村 流通などに注いでいるエネルギーを、生産の原点に集中すれば、解決できるはずですよね。

小林 限られた資源をいかに節約するか、同じ資源でもフルに活用しようと考えています。将来的には、循環して再生させていくシステムを考案しようと思っています。

創業100年を越すヤンマー 技術を結集して農業を支える

玉村 ヤンマーさんは創業して何年ですか?

小林 1912(明治45)年の創業です。

佐藤 創業100年をきっかけに、ブランディングの依頼をいただきました。

玉村 ヤン坊・マー坊はいつから?

小林 私と同じ1959(昭和34)年生まれです。実は、最初のころとずいぶん顔が変わっているんですよ。誕生したときはほっそりとした顔でしたが、だんだん生活が豊かになるにつれて、丸くなってきたんです。描いていらっしゃるのは、19歳のときから同じ方にお願いしています。

佐藤 農業をやっている人はテクノロジーと密に接していますが、一般の人は農業とテクノロジーはかけ離れていると考えています。玉村さんは、若い人たちにどういったメッセージを送っていきたいと思われますか。

玉村 農業に少しでも興味のある人は、ぜひ新規就農してもらいたいですね。自分の好きな仕事をやりながら穏やかに暮らせて、夜になったらワインでも飲んで気持ちよければ最高ですよ、と僕は勧めています。一攫千金は無理ですけど(笑)。

小林 豊かさの再定義ですね。

玉村 そうです、どこに価値観を置くかだと思います。

佐藤 現代ではインターネットのおかげで、コミュニケーションが劇的に変わりました。今日の話で、農業にもテクノロジーとコミュニケーションがある、と思いました。それらが一体となって持続化していくんですね。

玉村 いまはインターネットがあるから、生産者が自分の想いを発信することができて、それに着目する人がいればネットで買ってくれる。誰がどういう想いでつくったかを、小規模な農家でも消費者に示すことができるようになったのは、大きいですね。

小林 日本の農業は今まで遮断されたイメージがあったかもしれませんが、常に最前線に立っています。日本のほかの産業がいままで培った技術と工夫を融合すれば、可能性は無限です。

玉村 農業にテクノロジーを生かすというのは、農業を工業化することではなく、最新の技術を利用して、農業の本来あるべき姿を取り戻すことだと思います。

小林 めざすのは持続可能な社会です。価格最優先で食物を買うことは、安全の問題だけでなくて、あるべき社会の実現に繋がらない。もちろん、消費者に納得できる価格で提供することも大切です。そして、消費者には味や健康づくりに繋がる栄養素といった付加価値を評価していただきたいと思います。

※本稿は雑誌『SINRA』(発売:新潮社 発行:天夢人)平成27年5月号(3月24日発売)に掲載されたものを転載したものです。

プロフィール

(写真左から)

SINRA編集長

玉村 豊男 Toyoo Tamamura

1945年、東京都生まれ。作家、エッセイスト、画家。
ワイナリーオーナーなど、多くの顔を持つ。東京大学仏文科在学中にパリ大学に留学。『パリ 旅の雑学ノート』『里山ビジネス』など、旅や食文化、田舎暮らしなどの著書多数。 現在、長野県東御市に「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」を開設している。

クリエイティブディレクター / SAMURAI 代表

佐藤可士和 Kashiwa Sato

1965年 東京生まれ。
博報堂を経て「SAMURAI」設立。国立新美術館のシンボルマークデザインとサイン計画、ユニクロや楽天グループのグローバルブランド戦略のクリエイティブディレクション、セブン-イレブンジャパンのブランディングプロジェクト、「カップヌードルミュージアム」のトータルプロデュースなど、ブランドアーキテクトとして対象物の本質を見抜いて研ぎすます表現で多方面より高い評価を得ている。 進化する視点と強力なビジュアル開発力には定評がある。 2012年からヤンマーのブランド戦略の総合プロデューサーを務める。

ヤンマー常務取締役 / アグリ事業本部長

小林 直樹 Naoki Kobayashi

1959年、岡山県生まれ。
83年、早稲田大学政治学科卒業後、ヤンマーディーゼルに入社する。2002年に、経営統括本部中国室長となり、05年まで中国に赴任。08年に取締役に就任する。翌年、常務取締役に就任し、現在に至る。

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