2021.05.14

2000年入社社員が語る「ヤンマーは多様な人材が活躍できる会社か」

ヤンマーでは、国籍・文化・年齢・性別・宗教・キャリアなど、さまざまなバックグラウンドをもつ人材が活躍できる「ダイバーシティ&インクルージョン」を推進しています。なかでも「多様性を支える働き方の整備」は、大きなテーマの一つで、これまでにさまざまな取り組みを行ってきました。
今回のY mediaは、2000年に入社したベテラン社員の方々に、21年間を振り返り「ヤンマーは多様な人材が活躍できる会社か?」について語っていただきました。

<取材者プロフィール>
白藤万理子(シラフジマリコ)
ヤンマーシンビオシス株式会社 代表取締役社長。2000年入社。アグリ事業とエネルギーシステム事業において経理を19年間担当し、本社の人事部門へ。2020年4月、ヤンマーグループの特例子会社であるヤンマーシンビオシスの企画管理部長として赴任、同年6月社長に就任。

宮武直子(ミヤタケナオコ) ※オランダ駐在中のためオンラインで参加
YANMAR EUROPE B.V. シニアマネージャー。2000年入社。本社の経営企画に配属後、滋賀のびわ工場で損益管理、本社にて経営管理改革など、予算や業績管理を担当。2020年、ヨーロッパの地域統括会社(RHQ)に、経理財務、経営管理のシニアマネージャーとして赴任。

杉本大(スギモトダイ)
ヤンマーホールディングス株式会社 社長室 食事業推進室 企画管理部 部長。2000年入社。アグリ事業や販売会社にて営業企画、トラクタの企画管理・商品企画・開発企画など、企画系一筋。2019年、ヤンマー初の「食」に関する新規事業の企画管理部長に就任。

2000年、ヤンマー入社

―― 入社前や入社当時は、どのような感じでしたか

白藤:入社前、「新卒事務系の女性総合職第一号」ということは分かっていました。女性総合職の入社は5名だったのですが、当時の私はしんどい部分もありましたね。私服を着ている女性は私たちだけだったので、食堂に行ったりすると目立ってしまい、毎日とても緊張していました。

宮武:私服については、私はあまり気にしなかったですね(笑) そもそも「男女の差」というのも、全然気にしていなかったです。
ただ、今振り返ると周囲の方々が配慮してくれていたと思います。例えば、当時のヤンマーでは、お茶出しは一般職の方がしてくださっていたのですが、上司が私にはそういうことを頼まないでと言われていたようですし、滋賀の工場に異動した時は女性総合職の作業着はどうしたら良いかと検討されたと後になって聞きました。

杉本:入社した時には、すでに女性の総合職がいらっしゃったので、私たちの代が「初の女性事務系総合職」というのは知りませんでした。当時、白藤さんと私はアグリ事業部への配属が決まっていて、研修先は地方の男性ばかりの販売会社であったり、農地での野外実習だったりするわけですが、受け入れ側では「女性のトイレはどうする?」みたいことを悩まれていたようです。

白藤:最初に私たちを受け入れた部門は、本当に大変だったと思いますね。でも当時の上司と先輩は、私のことを「女性」としてではなく「仲間」として受け入れ育ててくださったので、乗り越えて来られました。今でも感謝しています。

これまでの21年を振り返って

―― 21年、ヤンマーで働いてきて感じたことは

白藤:いくつかのターニングポイントがあって、その度に「働くこと」への考え方が変わっていったような気がします。まずは入社して5年目の頃、「仕事が大変で辞めたい」時期がありました。

杉本:当時は朝早くから夜遅くまで働いて、「休日出勤は当たり前」という雰囲気でしたね。

白藤:それを何とか乗り越え、8年目の頃、出産・育児を経験しました。家族や周囲の人に支えられ、会社の制度も活用させていただきましたが、ちょうど仕事のやり甲斐が出てきた頃で、両立に葛藤し悩みました。でも今となっては子供も大きくなり仕事に注力する余裕ができてきたので、「あの時を乗り越えて本当に良かった」と思っています。
15年目の頃、上司が「見える世界が変わるから、管理職にトライしてみたら」と言ってくださって、挑戦して管理職になりました。

shirafuji

宮武:上司に声をかけてもらえたのは、うれしかったでしょう。

白藤:自分の仕事を評価してもらえたことが本当にうれしかったですね。管理職になってみると「経営にちょっと関われているな」という自信が出てきて、どんどん仕事が面白くなってきました。一方、仕事がとてもハードで家に持ち帰って夜遅くまで仕事をしていたのですが、途中で「こんな働き方は破綻する、後輩もついて来られない」と気づいて、仕事のやり方を変えたのも、この頃ですね。
その後、19年目で経理から本社の人事へ。そして、現在のヤンマーシンビオシスに繋がっていきました。

宮武:私はマイペースで「自分の好きなように仕事をさせてもらってきた」という感じです。入社して3年目に異動した滋賀の工場勤務は凄く大変だったのですが、入社前から希望していた異動先でしたし、「こういう時期は誰もが経験すること、成長するチャンス」と思っていました。
何もわからない新入社員からはじまって、少しずつ仕事を覚えて楽しくなってきて、壁にぶつかって乗り越えて、自分の成長と共に管理職になっていた。私のこれまでの経験では「ヤンマーは、仕事を正当に評価してくれる会社」で、キャリアアップで男女差別を感じたことはないですね。

杉本:私は、大阪から地方への転勤も何回か経験しましたし、仕事も様々な部門を経験しながら、キャリアアップして行くという、ある意味古いタイプのキャリアパスの道を歩んできたように思います。様々な場所で仕事をしてきましたが、同じ開発部門でもロケーションに応じてフレックス制度の適応ルールが異なったりすることがあります。全て同じにすることは難しいですが、事業部や事業所ごとのローカルルールは課題だと思います。
男女の差については、ほとんど男だけの職場だったこともあって、正直わからない部分もあります。ただ、現在の食事業推進室では、兼務も含めて40人弱の部門で女性が19人も在籍しているので「女性の活躍できる環境づくりは重要だ」と思っています。

ダイバーシティに取り組むヤンマーへの提案

―― みなさんが考える「働きやすい環境」とは

白藤:男性に対しても、もっと働きやすい環境を整えて欲しいですね。ダイバーシティって、女性だけに取り組んでも上手くいかないんです。男性もきちんと家庭を大事にして、「僕はプライベートも充実しているよ」と言う人が沢山出てきて欲しいです。ヤンマーの女性に対する制度は、結構整っていると思います。むしろ、会社全体の働き方改革が不可欠だと思います。

宮武:「ダイバーシティは女性だけじゃない」、私も同感です。ダイバーシティの理念は、男性も女性も外国人の方も、みんなが活躍できる環境ということ。制度を整えるだけでなく、制度を当たり前のように使っていく、根付かせる「意識改革」が必要だと思います。「ダイバーシティ」なんて言葉が出ない環境こそが、目指すべき姿だと思います。
オランダでは、自分のライフスタイルに応じてフレキシブルに働けるようになっています。例えば、朝7時に出社して15時に退社、子供を迎えに行く人もいます。「自分に合った働き方」が日本よりも尊重されている印象を受けます。

杉本:二人からも話があったように、100点満点ではないでしょうけど、制度は整っていると思います。でも、制度と風土でいうと「風土を変える」ことが大切だと思います。宮武さんの言われるように「長時間働くことで評価されるのではなく、自分に合った働き方で成果を出せる」風土に変わるべきだと思います。
今の部署には外資系や製造業以外から転職された人たちもいるのですが、彼らはきちんと制度を利用して、しっかりと成果も出している。これからは、社員一人ひとりの多様な個性と能力を発揮できる風土づくりが大切だと思います。

sugimoto

そして、次の挑戦へ

―― 次の未来へ、みなさんが挑戦したいことは?

白藤:私は大きなプロジェクトを経験するなどの華やかな経歴を歩んできたわけではないのですが、自分のできることを地道に続けてきました。そんな私の仕事を評価し、チャンスを与えてくれたヤンマーに感謝しています。
私が今社長を務めている会社の「シンビオシス」という名は、『共生』を意味し、自然、社会、地域、そして多様な人々との共生を目指し命名されたものです。これまでの経験を活かし、年齢や性別、障がい者手帳の有無などにかかわらず、今いっしょに仕事をしているメンバー全員が共に「自立し輝き続けられる会社」を作っていきたいです。

宮武:新たなことへの「挑戦」というより、今までやってきたことを継続してやっていきたいと思っています。チームマネージャーとして「みんながハッピーな気持ちで働けるチーム」を作っていきたいです。私があれこれ指示を出すのではなく、その業務に適した人材がリーダーとなって仕事を進めていくチームです。上下関係もなく、たとえ新入社員でも、その人が最もふさわしいのであれば、リーディングを任せて周囲がバックアップしていくという形です。「自分の個性や能力、強みを活かして活躍できる」ことは、ハッピーに働ける大切なポイントだと思います。

杉本:ヤンマー初の「食」事業なので、しっかりとこの事業を育てたいですね。ヤンマーという会社は、食料生産やエネルギー変換など、社会の課題に直接関わる事業を行なっています。これからは多様な能力や個性を持った仲間が活躍することで、ヤンマーが掲げる「A SUSTAINABLE FUTURE」のブランドステートメントの通り、これからも社会課題の解決に関わっていきたいです。