2026.03.06

【伊藤 麻理乃×中仙道 怜】世界で戦うアスリート、日本一の農業経営者を目指す二人の現在地とこれから【シリーズ・未来のHANASAKAビトたち #1】

Y mediaでは、何かに挑戦している人、誰かの挑戦を後押ししている人を「HANASAKAビト」と呼び、その取り組みを紹介しています。今回は、無限の可能性を秘めたU-22世代の若者4名に「未来のHANASAKAビト」としてフォーカスを当てました。

第一弾では、アルペンスキー、アルペンスノーボードの2つの競技を両立するマルチアスリートとして活動し、世界の舞台を目指す伊藤 麻理乃さんと、高校生ファーマーとして農業関係者の期待と注目を集める中仙道 怜さんのお二人が登場。

分野の異なる両者ですが、意外な共通点も多く、対談は大いに盛り上がりました。今まさに成長過程にある2人のこれまでの歩みを振り返るとともに、その挑戦にかける想いと未来への夢について語り合ってもらいました。

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伊藤 麻理乃(いとう まりの)

スキーヤー・スノーボーダー。小学4年生からアルペンスキーの競技を開始。大学2年次からは、アルペンスノーボードのレースにも参戦している。2025年の第98回全日本学生スキー選手権(インカレ)では、女子1部アルペンスーパー大回転とアルペンジャイアントスラロームの2種目での入賞を果たした。大学卒業後はスノーボードに力を入れ、世界の舞台を目指す。

Instagram: marino_ito

中仙道 怜(なかせんどう れん)

北海道栗山町在住の農家。小学6年生から本格的な農業を始め、「高校生ファーマー」として注目を集める。祖父の農園の一部である50アール(約5,000㎡)の畑で育ててきた農作物は、トマトやメロン、赤いスイートコーン「大和ルージュ®」など50品目300品種にも及ぶ。高校を卒業する2026年春からは、祖父の跡を継ぐ形で専業農家として始動する予定。夢は、日本一の農業経営者になること。そして栗山町を代表する特産品を作ること。
※大和ルージュは株式会社大和農園の登録商標です。

Instagram:sensuke831

かたやマルチアスリート、かたや高校生ファーマー。我が道を歩む二人の若者

――中仙道さんは農業、伊藤さんはアルペンスキーとスノーボード。異なる道を歩むお二人ですが、それぞれの分野で夢を追いかけている点は共通しています。まずは、お互いの活動について簡単に教えてください。

中仙道怜さん(以下、中仙道):北海道の栗山町という人口約一万人の町で、高校に通いながら農作物を育てています。農家である祖父のもとで約50アールの農地を借りて、50品目300品種の野菜や果物の栽培、収穫、加工、販売まで一人で行っています。2026年の春に高校を卒業するのですが、卒業前に農園の経営を祖父から引き継いで、春からは専業農家になる予定です。

中仙道さんが農作物を育てる約50アールの農地

伊藤麻理乃さん(以下、伊藤):私は小学生から本格的にアルペンスキーを、大学からアルペンスノーボードを始めました。現在は大学のスキー部に所属し、2つの競技で大会に出場しています。2026年春に大学を卒業し、卒業後も競技を続けていく予定です。

ちなみに、実は長野県にある私の実家も農家なんです。

中仙道:そうなんですか。長野も農業が盛んな地域ですよね。

伊藤:はい。実家ではレタスを中心に高原野菜を作っていました。2年前に父が他界してからは少し畑の規模を縮小して、母と弟、私の三人でズッキーニや玉ねぎなどを栽培しています。2、3品目を作るだけでも本当に大変なことだと感じているので、中仙道さんがお一人で50品目300品種をやっていると聞いて驚きました。

中仙道:伊藤さんも畑に出られているんですか。

伊藤:はい。小さい頃から出荷作業などを手伝うことはありましたが、父が亡くなってからはスキーのオフシーズンである夏を中心に、がっつり畑仕事をやっています。重労働ですが、私の場合はそれが足腰やバランス感覚を鍛える良いトレーニングにもなっていますね。

農作業に勤しむ伊藤さん

――ちなみに、お二人はどのようなきっかけで現在の活動を始められたのでしょうか?

伊藤:私は両親がスキーをやっていて、3歳から雪上で遊んでいた延長で、いつの間にかアルペンスキーを始めていました。アルペンスノーボードを始めたのも、母の影響ですね。母はもともと大学までスキー競技をやっていたのですが、卒業後にスノーボードに転向し、海外のレースを転戦していた人なんです。そんな話を聞いているうちに、いつか自分もやってみたいと思っていました。

中仙道:自分はスポーツが苦手なので、2つの競技を両立するというのが想像つかなくて。本当にすごいと思います。

伊藤: スケジュール的にはタイトですし、レースに合わせて練習メニューを変えたり、頭を切り替えたりする必要もあります。ただ、両方やることによる相乗効果もあるんです。たとえば、スキーとスノーボードでは雪面のコンタクトの感覚が似ていて、その感覚を掴むことで両方の競技に生きてきます。それは自分の強みになるはずですし、今はスキーだけをやっていた時よりも充実したシーズンを送れていると感じますね。

「酸っぱすぎるトマト」の改良をきっかけに、野菜作りの面白さに開眼

――中仙道さんは小学生の頃から畑に出ていたと。なぜ、自分で野菜を育ててみようと思ったのでしょうか?

中仙道:僕は物心ついた時から花や野菜が好きで、おもちゃで遊ぶよりも植物園に行きたがるような子どもでした。祖父母や親戚もみんな農家なので、畑も身近な存在だったんです。

両親はもともと会社勤めをしていたのですが、僕が小学生になる時に「そんなに野菜や花に興味があるなら、のびのびした環境で育てよう」ということで、家族で父の実家がある栗山町にUターンする形で移住しました。それから祖父母の畑を少しずつ手伝い始めたのが、野菜作りに関心を抱くきっかけでしたね。

――当時、野菜作りのどこに面白さを感じましたか?

中仙道:試行錯誤によって、野菜の味が明らかに変わる点です。最初にそれを知るきっかけとなったのは、祖母が作った「酸っぱすぎるトマト」でした。他の親戚が作るトマトはめちゃくちゃ甘くてファンも多いのに、祖母のトマトだけがなぜこんなにも酸っぱいのだろうと疑問を持ち、これを甘くする方法を考えるようになりました。

その頃、同じく農家だったひいおばあちゃんからしきりに聞かされていたのが「土づくりを見直したら、おいしいものができるよ」という言葉です。ただ、当時の僕は小学4年生で、土づくりをしようにも肥料を買うお金なんてない。家にあるものでなんとかしようと考えた時に、メロン農家の祖父の畑にあった「メロンの皮を堆積した堆肥」が目に入って。これをトマトの畑に入れたら変わるんじゃないかと思いました。

伊藤:すごい探究心……。ちなみに、結果は?

中仙道:最初はあまり変わりませんでしたが、堆肥により徐々に土壌環境が改善されていったからか少しずつ甘みがついてきて。最終的にはもともとの酸味は残したまま甘みも感じられる、味の濃いトマトができあがったんです。これは面白いなと思いましたね。

伊藤:そこから、さらに野菜作りにのめり込んでいったんですね。

中仙道:はい、トマトや青肉メロンを自分で作ってみて、そのおいしさに感動し、「他の野菜ももっとおいしくできるんじゃないか」と。同じタイミングで母親が畑の近くでパン屋をオープンして、場所を間借りして野菜を売れる場所ができたことも大きかったですね。そこから本格的に「農業」を始めようと思いました。

――ちなみに、本格的に農業を始めるにあたり、ご両親などから援助はありましたか?

中仙道:祖父は畑を貸してくれましたが、資金的な援助は一切ありませんでした。むしろ、母からは「本格的にやるのであれば、経費がかかる。今はおじいちゃん、おばあちゃんが負担している種や肥料のお金もこれからは自分で出しなさい」と言われましたね。失敗しても成功しても、自分の責任だと。

そこから帳簿をつけるようになり、売上から種や肥料を買い、少しずつ品種を増やしていきました。最初は大変でしたけど、自己責任だからこそ作った野菜が売れる嬉しさ、お客さんに「おいしかったよ」と言ってもらえる喜びをより感じられたと思います。小学6年生から現在までの7年間でそうした経験ができたのは、非常に大きかったですね。

中学・高校で3度にわたる膝の手術を経験。それでも雪上に戻りたかった

――お二人からは目標に向かって邁進するポジティブなエネルギーを感じますが、高みを目指す過程においては様々な壁もあったと思います。これまでを振り返り、最も苦しかった経験を教えてください。

伊藤:中学・高校時代は怪我に悩まされ、3度の膝の手術を経験しました。最初は中学1年生の全国大会前の合宿で、右足の前十字靭帯を切ってしまって。結局そのシーズンは棒に振ることになり、本当に悔しかったですし、周りと比べて焦ってしまう自分もいました。

手術を経て雪上に立てる状態にまでは回復しましたが、その後も何度も怪我の繰り返し。今思えば、不安のある状態で競技に戻っては再発するという、負のスパイラルに陥ってしまっていたのだと思います。

中仙道:それでもやめなかったんですよね。競技を続けようと思えた原動力は何だったのですか?

伊藤:一番は両親の存在です。私がやりたいと言ったスポーツを続けさせてくれて、怪我をした時も「やりなさい」とも「やめなさい」とも言わず、ただそばにいて静かに見守ってくれました。その支えに、まだ私は応えきれていない。ここでやめるわけにはいかない。そんな気持ちで、トレーニングや練習など、できることから前向きに取り組んでいきました。

もちろん、自分自身として「やれるところまで挑戦したい」という思いもありました。だから不思議なことに、何度も怪我をして悔しさを味わっても、その度にもっと強くなって雪上に戻ろうという気持ちになれたのだと思います。

大学3年次の全日本学生スキー選手権では、女子1部アルペンスーパー大回転とアルペンジャイアントスラロームの2種目で入賞を果たした伊藤さん

 ――中高時代の怪我を乗り越え、大学では全国の舞台で入賞を果たしています。

伊藤:怪我で悔しい思いをすることが多かったぶん、入賞という結果が伴ったことは本当に嬉しかったです。特に印象深いのは、大学1年生で出場した「全日本学生スキー選手権」です。

当時の私が在籍する大学はインターカレッジの2部にいて、1部昇格を目指していました。選手権では同じ2部の他大学と激しい優勝争いをするなか、私はジャイアントスラロームの1本目でコースアウトしてしまったんです。でも、そこで諦めるわけにはいかない。アルペンスキーは2本の合計タイムで順位が決まる競技だから、2本目で取り返すことだってできるはず。だから棄権はせず、雪上を駆け上がってレースに復帰しました。その結果、2本目では2位に1秒以上の差をつけて1位に。コースアウトがありながらも入賞を果たすことができました。なんとかチームに貢献できたと思います。とにかく、諦めるのは大嫌いなんです(笑)。

――伊藤さんのご両親は、あえて叱咤激励をするでもなく静かに見守ってくれたということですが、なかなかできることではないと思います。親としては子どもを導きたくなるというか、つい口を挟みたくなるものではないでしょうか。

伊藤:そうですね。父も母も、「自分がやりたいと思うなら、がんばりなさい」というスタンスで、私が幼い頃から自主性を促すような育て方をしてくれたと思います。だからこそ、怪我をして辛い時期にも自分自身で「どうしたいのか」を考え、「雪上に戻りたい」という素直な思いに従ってリハビリやトレーニングに取り組むことができました。

――そこは中仙道さんのお母様のスタンスにも近いのかなと。

中仙道:そうかもしれませんね。好きなこと、やりたいことは自由にやりなさいというスタンスです。その代わり誰も手伝わないし、続けるもやめるも自分で決めなさいと。厳しいように捉えられるかもしれませんが、結果的に今やりたいことができているので、僕にとってはそれが合っていたのだと思います。

――中仙道さんは、本格的に農業を始めてからの7年間を振り返って、何が一番苦しかったですか?

中仙道:一言で表すことは難しいですね。農業はそれこそ、苦しいことの連続ですから。たとえば、毎年春になると、その年の投資を回収できるかという不安が押し寄せます。農作物がうまく育たなかったり、失敗が続いたりすると、焦りの気持ちも膨らんでくるんです。僕の場合は学校に通いながら農作業をしていたので、日中は手がかけられないこともあって、朝に植え付けをした苗が帰ってきたら全て枯れていたなんてことも多々ありました。

――そうした不安やプレッシャーをどのように乗り越えてきたのでしょうか?

中仙道:不安を解消する一番の薬は、作った野菜をお客さんに食べてもらうこと。そして、「おいしかったよ」の一言に喜びを感じることだと思います。ありがたいことに今は毎日のように野菜を買ってくれる常連さんもいて、笑顔で嬉しい言葉をかけてくださいます。本当に励みになりますし、幸せな気持ちになれるんです。そういう意味では、常連さんも含め、地域の色んな人たちに支えられていると感じますし、その支えがあるからこそ、今までやってこられたのかなと思いますね。

未来のHANASAKAビトへ。若者が抱く、人生をかけた夢

――伊藤さんはこの春に大学を、中仙道さんは高校を卒業されます。それぞれ大きな転機を迎えますが、今後の活動の展望や目標を聞かせてください

伊藤:大学卒業後は社会人として働きつつ、よりアスリートとして高みを目指していきたいと思っています。最終的な目標は、世界最高峰の国際大会。家族を世界の舞台へ連れて行き、メダルを獲得する姿を見せてあげることが、私の競技人生における最大の夢なんです。その夢に向けて、今年からはスノーボードにフォーカスして活動していく予定です。

中仙道:春から専業農家になるにあたって、祖父が持つ全ての畑を受け継ぐ予定です。いまは農業だけで生計を立てることが難しく、多くの農家さんが他にも仕事を持っていますが、僕は専業にこだわりたい。難易度は高くても、農業でしっかり稼ぐことに挑戦していきたいと思っています。

将来の夢は、大きく2つあります。1つ目は、栗山町の活性化につながる新しい特産品を作ること。それも隠れた特産品とかではなく、地域の人たちが全力で推していて、日本中、世界中から注目されるようなものを開発したい。これまでの7年をかけて候補はいくつか見えてきていて、その筆頭が赤いスイートコーン「大和ルージュ®」です。他県では栽培されていたものの、北海道では栗山町が初めて。甘く栄養価も豊富、かつ見た目も美しくて、栗山町の名産品として広めていきたいと思っています。他にも、数年がかりでブランド化していく予定の農作物があるので、じっくりと育てていきたいですね。

もう1つの夢は、ここ栗山町から「日本を代表するような農業経営者」になることです。今はそのために、全国の農家の先輩方、他業種の方々と交流し、さまざまなことを吸収しています。そして、自分の農園でしっかり稼げるようになり、人を雇い、農業経営者としてステップアップしていきたいですね。

キラキラと瞳を輝かせながら、希望と夢を語る若者たち。頼もしさに満ちた彼らの心に宿る「未来のHANASAKAビト」のエネルギーは、未来の社会を力強く牽引していくに違いありません。次回登場予定のお二人もまた、希望と夢に邁進しています。エネルギーに溢れる彼らのストーリーにもご期待ください。

写真:石原麻里絵
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)

 

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