February 8th, 2017|A SUSTAINABLE FUTUREPRODUCT

日本の南極観測を発電機で支える。南極観測隊の一員として歩んできたヤンマーの30年(前編)

1957年に始まった日本の南極観測は、2017年で60周年を迎えます。その間、昭和基地を拠点として地道な観測を継続し、オゾンホールの発見をはじめ、世界にインパクトを与える様々な成果を挙げてきました。

毎年30人ほどの隊員が南極に1年以上滞在しますが、通常では人間が生活しえない極地の世界で観測を継続し、暮らしていくためには、多くのエネルギーが必要です。その最大のエネルギー源となる電力と熱を、1984年以来30年以上にわたってヤンマーの発電機が供給しています。さらには発電機を納入するだけではなく、安定した運転や整備のために、ヤンマーの社員も南極観測隊のメンバーとして毎年昭和基地で越冬しているのです。

今回Y MEDIAでは、ヤンマーが行っている南極昭和基地観測隊への隊員派遣をクローズアップ。ヤンマーの役割や取り組みはもちろん、知っているようで知らない南極観測隊の歴史や仕組みについても掘り下げます。取材では南極観測の実施母体である国立極地研究所(以下、極地研)とヤンマーから、計5名の南極観測隊参加経験者に集まっていただきました。

南極観測隊とはいかなる組織で、どのような活動をしているのか。ヤンマーの技術はその中でどのように活きているのか。前編・後編にわけてじっくりと語っていただきました。

橋田元
国立極地研究所 南極観測センター 副センター長(観測担当)
准教授 博士(理学)
第39次、第44次、第54次越冬隊に参加(第54次は越冬隊長)、夏隊でも複数回参加。

藤野博行
国立極地研究所 南極観測センター 設備支援チーム
第48次越冬隊、第54次夏隊(ドームふじ基地)に参加。

石沢賢二
国立極地研究所 極地工学研究グループ技術職員
第19次より、越冬隊5回、夏隊2回に参加。

阿部賢治
ヤンマー株式会社
エンジン事業本部 特機エンジン統括部 品質管理部 品質管理グループ 部品調査係 係長
第41次、第53次越冬隊に参加。

久川晴喜
ヤンマー株式会社
エンジン事業本部 特機エンジン統括部 生産部 尼崎工場 運転グループ 運転係 六工場運転班
第48次、第54次越冬隊に参加。

未知の環境を切り開き、
60年の歴史を重ねてきた南極観測隊と昭和基地

第1次南極観測隊がこの地を「昭和基地」と命名した歴史的瞬間。以降、昭和基地での観測は途切れることなく、2017年で60年目を迎えた。
提供:国立極地研究所

――今回は、実際に南極大陸に滞在したご経験をお持ちの皆様からお話を伺えること、とても楽しみにしています。まずは基本的なところから、南極観測はどのような経緯で始まったのでしょうか。

第二次世界大戦後、世界情勢が安定し始めると、研究者の目は地球や宇宙に向き始めました。特に1957~58年は「国際地球観測年」(IGY、International Geophysical Year)とされて、多くの観測プロジェクトが立ち上げられましたが、南極も各国が競い、また協力する場となりました。

敗戦国だった日本は国際的に弱い立場にありましたが、永田武先生(後に国立極地研究所初代所長)や西堀栄三郎先生(第1次南極観測隊越冬隊長)といった力のある研究者の尽力もあって参加が叶います。海上保安庁の灯台補給船だった「宗谷」を急ぎ改修して南極までたどり着き、未知の環境の中で基地を建て、11人で越冬したのです。それが1957年から58年にかけてのこと。ちょうど今から60年前、日本の南極観測の始まりでした。

――昭和基地は、いつごろどのようにしてできたのですか。

第1次隊の永田先生や西堀先生が、東オングル島の上に旗を立てて「ここが昭和基地です」と宣言したのが1957年1月29日のこと。船で行けたのは東オングル島の20キロ手前まで。大まかな位置は、他国の基地との関係もあって事前に決まっていましたが、具体的な場所はそこに着いてから適切な場所を探し回ったようです。

昭和基地は、南極大陸に隣接する東オングル島にあります。このあたりは東南極と呼ばれ、多くの基地がある西南極とは環境も異なります。今では多くの観光客が訪れるのが西南極。敗戦国だったため、船でのアプローチの良くない場所を割り当てられたという経緯だったようですが、今では逆に特徴的な場所に基地があることが日本の南極観測の強みになっているともいえます。

第1次隊が今の昭和基地がある東オングル島から少し離れたところに上陸したのは知られていたのですが、上陸地点は、はっきりした記録がなく分からないままになっていました。しかし、久川さんと私が参加した第48次越冬隊で、その場所を見つけることができました。大きな石の脇で竹竿を上げて日章旗を掲げる隊員の写真が残っていたので、彼らの後ろに見える山の形や石の形がぴったりと一致する場所があり、「あ、ここだ!」って。

その石を掘り出していたら、竹竿とその覆いの布が雪の中から出てきて。私は言われるがままに掘っていただけですが(笑)、感激しました。

正確な場所が特定されていなかった第1次隊の上陸地点を第48次隊が発見。
提供:第48次南極地域観測隊 梅津 正道

――そうしたロマンとも言える歴史があって今に至るわけですね。当時とは大きく変化したかと思われますが、南極観測隊の構成について教えていただけますか?

南極までの隊員や物資の輸送は船で行いますが、船の変遷とともに観測隊の規模も段階的に変わってきました。最初の6年間が「宗谷」、ここで3年間中断した後、第7次隊から第24次隊までは「ふじ」。第25次隊で初代「しらせ」が登場して、これが第49次まで。50次隊では後継船が間に合わず、オーストラリアの観測船の支援を受け、第51次より現在の「しらせ(2代目)」になりました。

隊員の数は「宗谷」から「ふじ」に変わった時で、60人ほどに(※1)。「ふじ」から「しらせ」へ変わったタイミングで発電量の大きいヤンマー製のディーゼル発電機を設置し、より大きな電力を使う観測装置も使えるようになっています。搭載できる物資量に応じて昭和基地だけではなく、みずほ基地、あすか基地、さらには内陸に1,000キロも入ったドームふじ基地へ活動を展開することも可能になりました。隊員の数は、2016年11月に日本を出発した第58次隊では68名となっています。

※1 後述する「夏隊」と「越冬隊」を合わせての数。第1次観測隊も隊全体では53名。そのうち11人が越冬した。

――観測隊には、夏の期間だけ滞在する「夏隊」と、1年間以上滞在する「越冬隊」があると聞きました。

観測隊は日本を11月末に出発して1ヶ月ほどで南極に到着します。その後、現地で2ヶ月ほど活動したのち、3月後半に日本に戻るのが夏隊です。昭和基地にとどまり、翌年の2月まで現地に滞在するのが越冬隊です。南極観測隊の第一の目的は観測。長期的な観測を確実に続けるためには、どうしても人の手、すなわち越冬隊が必要なのです。両者の割合は、現在は、夏隊の方が多く、第58次隊の68名の内訳は、夏隊35名、越冬隊33名となっています。

――滞在時期や滞在期間の長さ以外に、どのような違いがありますか?

夏隊は、12月半ば~2月半ばまでの約2ヶ月間、気象条件が良好の間にできることを集中的に行います。たとえば建物の建設や発電機の修理など越冬に必要な作業をできる限りすべてやる。観測においてもペンギンの観測や地学調査など、夏の間しかできないことを。越冬隊は、期間も長いためペース配分も夏隊とは違ってきます。夏のように集中的に、活動していたら、体力的にもへばってしまいます。

南極では夏は白夜、つまり太陽が沈まない。冬は極夜といって、太陽が昇らない時期があります。夏隊は、太陽が沈まない時期に行動し帰ってくるため『日帰り』、逆に越冬隊は『1泊』という言い方もしていたようです。OBの方に『夏隊で行きます』と伝えたら、『あっ、日帰りか』って(笑)。

「設営」担当が基地の生命線を守り、
「観測」担当が観測成果を上げる

――「設営」と「観測」では、隊員のメンバー構成はどのようになっているのでしょうか?

越冬隊が30人いるとすると、設営18人に研究者が12人といったバランスです。設営には、機械、通信、建築、環境保全(汚水処理・廃棄物管理)などの分野ごとに専門家がいて、もちろん医者や料理人もいます。どの仕事も本当に重要。たとえば通信や情報処理の担当は、無線機や衛星通信を管理して、基地内だけでなく日本との連絡に責任を持ちます。南極では連絡がちゃんとできるか否かがすぐ生命に関わります。ヤンマーの隊員は機械担当として発電機エンジンを管理していますが、これもまさに隊員の生命線。トラブルが起きたときには、限られた環境の中で、各分野が協力して工夫する力が大事です。そのため、実力のあるスペシャリストに集まってもらっています。

――あらゆる仕事が生命に関わってくる環境ですね。現地での観測内容も教えてください。

継続的に行っているものと、一定の期間に重点的に行うものがあります。まず継続的なものでは、気象観測、地球温暖化に関わる大気の微量成分、地震、オーロラの観測などを行っています。これらは長期的に調べることに意味があり、その成果の一つが、オゾンホールの発見です。オゾンホールとは、太陽からの紫外線から私たちを守っているオゾン層が南極の上空で春先に急減する現象で、日本の気象庁の観測によって発見されました。原因とされる特定フロンガスを世界的に使用制限することを後押しするきっかけを作った大きな成果で、これは南極での日々の観測を何年も続けたからこそ可能になりました。

また昭和基地の位置する東南極は、基地の数もすくなく、その意味でもここでの観測には価値があります。たとえば、南極大陸の西側では温暖化の進行が確認されています。しかし昭和基地では、地上気温の上昇傾向は観測されていません。長期間にわたるこうした観測の結果は、地球を知る上でとても貴重なものです。

現在の南極昭和基地。管理棟、居住棟、観測棟など用途別に68棟もの建物で構成されている。基地周辺でも写真のようなオーロラや、同地ならではの生物が見られることも。
提供:国立極地研究所

――重点的に行う観測テーマにはどんなものがありますか。

近年、昭和基地に「大型大気レーダー」が作られました。この装置は、高さ3メートルのアンテナ1,045本を一つの大きなレーダーとしたもので、上空500キロくらいまでの大気の状態について精密なデータを調べることができます。これを用いて、極域の大気と地球システムの関係を詳細に解明することを目指しています。その時々、時代の要請に応じてさまざまな新たなプロジェクトを立ち上げています。

二酸化炭素などの温室効果ガスを測る場合、人間活動が盛んなところでは、その影響(=ノイズ)が多くて、素の状態(バックグラウンド)の正確な測定が難しいのですが、その点、人間活動がほぼ皆無な南極では、とても正確に測ることができます。そういった点でも、南極で観測する意味は大きいといえます。

電気がなかったら4時間ですべてが凍る!?
昭和基地でヤンマーの発電機が果たす役割

昭和基地にはじめて納入されたヤンマーの発電機・6RL-T。以降、30年にわたって昭和基地での観測、生活を発電の面から支えている。
提供:第27次南極地域観測隊 林原 勝美

――ここまで南極観測隊の基本的な事柄について教えていただきました。ここからは、ヤンマーの関わりについて伺います。今から33年前、1984年の3月から現在まで、昭和基地ではヤンマーの発電機が使われているということですが、始まりはどのような経緯だったのでしょうか。

1983年に日本を出発した第25次隊から、船が「ふじ」から「しらせ」に変わりましたが、先に話が出たように、それを機に多くの物資が運べるようになり、南極観測の活動が広がりました。発電機についても、それまで観測用、設営用と分かれていたのをまとめて大きなものを設置できることになり、その際にヤンマーの6RL-T(上画像)エンジンが採用されました。

――現在はどのような発電機が使われているのですか?

常用としては、S165L-UT(300KVA)の2台(1号機;95年設置,2号機;98年設置)が使われており、非常用として、6HALC-DT(200KVA)2台(1・2号機とも95年設置)が設置されています。昭和基地全域の主要な電力はこちらでまかないます。常時1機が動いていて、500時間ごとに交代させます。大きな電力を使う観測や、移動を伴っての観測については、別に発電機を用意しています。

基本は2機の発電機を500時間ごと交互に運転させるので、交代のタイミングで「500時間点検」を行います。メインの機器を入れ替えるという意味と、交換した発電機も緊急時にすぐ動くようにスタンバイさせておきます。これを1日で終わらせるのが主な業務ですが、日々の業務では発電機以外の設備関係を見たり、その他機械隊員の業務を手伝ったりと、様々な仕事を行っています。

発電機が止まったら昭和基地は“4時間で凍る”といわれています。まさにヤンマーさんあっての南極観測隊なんです。まあ、季節やその時の気象条件でことなるので、何時間でというのは、起きてみないとわかりませんが(笑)。

発電機が止まって動かなくなれば、隊は全滅してしまいます。担っている責任はとても重大だと感じています。

越冬中の暗い時期に発電機が止まると、本当に真っ暗闇になるんです。外はマイナス20~30度という世界ですし、配管などもすぐに凍ってしまいます。常にプレッシャーがかかるのが私たちの仕事です。

――ヤンマーのような協力会社から南極に行くメンバーの選定はどうしてますか?

ヤンマーの場合、基本的には行きたい人が事前に、上司なり観測隊OBなりに意志を伝えるところから始まります。

最近は若手の希望者が増えていますが、私の場合、当時たまたま希望者があまりいなかったので、「どうだ?」と肩を叩かれて「来週までに返事くれ」って突然言われて(笑)。

一同(笑)

行きたくないのに業務命令で行かされるということはさすがにありません。途中で嫌になったからといって帰られるようなところではないですから、本人の希望が前提です。

雪山での冬期総合訓練では、南極での活動のさまざまなシーンに対応すべく組まれたプログラムをこなす。雪上での観測、暮らし、緊急時のサバイバルなどを想定した訓練は当然、本格的。
提供:国立極地研究所

――担当する分野の専門家として、現場でしっかりと対応できるだけの知識や技術がある方が選ばれると思いますが、それだけではなく南極という特殊な環境で仕事していく覚悟も求められますよね。訓練などは事前に受けられるのでしょうか。

はい、極地での活動に必要な基本的な知識や技術は、事前に極地研の方の指導のもと、訓練を受けさせてもらいます。

健康診断を終えたあと、出発する年の2月後半から3月はじめにかけて、まずは一週間ほどの「冬季総合訓練」があります。雪山での実地訓練で、南極に関する基本的な知識から緊急時のサバイバル術を学ぶほか、仲間とのチーム作りの場ともなります。6月にも1週間をかけて、その隊の活動の具体的な調整を行い、さらに数回、全員が集まって打ち合わせなどをしたうえで11月に出発となります。

――出発前の道のりも長いんですね。

メンバーの中には雪を見たことがないという方から、山岳ガイドのような熟練者まで、背景は様々です。もちろん男女、年齢の違いも。それぞれに万全な状態で4ヶ月、もしくは1年4ヶ月という間、極地で自分に力を存分に発揮できるように準備をしてもらっています。

――やはり精神的にも肉体的にもタフな方が多いんですか。

極地に行きたいというくらいなので、変わった人が多いかもしれないですね(笑)。本当に個性的で、面白い人たちが集まるんで、私が参加した2回とも、越冬の1年間が楽しくて仕方なかったですね。

 

 


前編では主に南極観測隊の歴史や構成、現地での基本的な作業内容などをうかがいました。後編では南極での活動の詳しい様子、越冬経験があり、現地を深く知る隊員ならではのとっておきエピソードを、詳しくお届けします。お楽しみに!

関連情報

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現在南極にて活動中の第57次越冬隊。ヤンマーから参加している石川貴章隊員による現地レポートを不定期公開中!

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